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古都、平城京の風薫る世界遺産 薬師寺(前編)

貧しい寺だった薬師寺の復興

薬師寺1300年の歴史の中で、この50年の間に大きな復興事業をやりました。それは高田管長というリーダーシップを持った人が住職を勤めたお陰です。寺の外に出て行くのは高田管長で、中で様々な企画をし、寺全体のことを取り仕切るのはわたしの役目でした。復興事業は歴史的なことです。それと、お写経はもう45年続いております。人数にしたら100万人くらいですか。数にしたら800万巻くらいです。一人で何回も書きますから。そうやってお写経をしていただいた納経供養料を薬師寺復興事業の工事費に充当しました。そういう発案や仕組みはわたしがこしらえました。勧進に回ったのは高田管長です。

昔の薬師寺は、昭和13年の航空写真が残っているんですが、小さな林の中に東塔がポツンと立っていて、あとは江戸時代に建築された仮の金堂と講堂があるだけでした。今は東塔の修理をしていますし、また食堂(じきどう)跡の発掘をしていますから、また薬師寺は変わります。ここ50年で一番奈良の景色を変えたのは薬師寺です。薬師寺は無かったものを復興したわけですから。西塔を建てるときでも反対があったんです。景観を破壊すると。それで、わたしは薬師寺を元に戻そうと、古くしているんだ。あるべき姿に戻しているだけだと主張しました。

現在、国宝の東塔は2008年から2018年の計画で改修工事が行われています。今回は、安田ご長老のお計らいで、工事中の東塔に巡らされた足場を登り、修復作業を拝見することができました。

(北川参与さんのご説明)
現在は工事中ですが、東塔の上には「水煙(すいえん)」がありましてね、西塔も同じものが乗っていますが・・・その水煙には天女が彫刻されています。1枚に6体。ですから、東西南北で24体。それで、一番下で笛を吹いている童子の部分は、昭和42年から48年まで葉書が7円だった時代があるんですが、その7円葉書のスタンプのところにデザインしてあったのがこの水煙の笛吹き童子です。水煙の軸には薬師寺の塔さつ銘と言って、薬師寺を建立した縁起が「巍巍蕩蕩(ぎぎとうとう)たり薬師如来、大いに誓願を発し、広く慈哀を運(めぐら)す」等々と書かれてあります。それによって、薬師如来であることが証明されているんですね。

今後、すべての解体に2年、調査に2年、そしてまた組み直すのに2年かかるようです。柱も外して地下の調査もする予定です。

塔の内部には釈迦八相(しゃかはっそう)お釈迦様の一生の物語を、東塔に前半の4つ、西塔に後半の4つ、合わせて8つですね。入胎(にったい)・受生(じゅしょう)・受楽(じゅらく)・苦行(くぎょう)・成道(じょうどう)・転法輪(てんぽうりん)・涅槃(ねはん)・分舎利(ぶんしゃり)。両方の塔でお釈迦様を祀(まつ)っております。また、西塔の心柱の下にはお釈迦様の仏舎利を安置しているのですが、現在行なっている東塔の解体中にも仏舎利が見つかり調査をしています。(塔の中心部にある柱の一番上に木箱を納めるために加工が施されており、仏舎利はその木箱の中に安置されています。)

豊臣時代より400年、歴代住職の悲願であった″金堂復興″は、宮大工 西岡常一棟梁※3の設計により昭和46年に着工し、昭和51年に白鳳時代様式の本格的な金堂として復興されました。

金堂は、本当は100%木造にしたかったんですが、一度火に遭っていますから、また火事があったら大変だということで、内部だけ鉄筋なんです。煙が出ると鉄の扉が油圧式になっていて下りて来ますから、密閉されて火が回らないということです。周りの資材は若い木で1000年、古木で2000年以上の樹齢の木を使っておりまして、ここを建ててくださった西岡常一棟梁の説によると、耐久力は1000年の樹齢の木には1000年以上あるようです。薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で、健康をお守りいただく仏様として生きている間に我々を救うために働いていらっしゃるということでありまして、菩薩の時に12の大願(疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い、仏に成ったと説かれる。)を叶える為に修行をされたということで、私たちは毎朝5時に勤行(ごんぎょう)をいたしまして、祈願をさせていただいております。火災に遭うまでは、仏像には金が塗られてあって金色に輝いておられました。

※3 西岡常一棟梁・・・法隆寺の大修理なども手掛けた奈良県を代表する宮大工で、薬師寺とも係わりが深く、その生涯を描いた映画「鬼に訊け」(2012年2月公開)には、安田ご長老もご出演されています。

その昔、岡倉天心(おかくらてんしん)さんという方が、「君たちは薬師寺の薬師三尊像をまだ拝んでいないから幸せだ。なぜなら、初めて見た時の感動をこれから得る幸せがあるのだから。」という言葉を残しています。日本の仏像を語る中で、最も優れた仏像として崇められているわけです。皆さんから納経いただいたお写経は、ここの2階や塔などに納めております。

飛鳥時代を代表するお寺は法隆寺、白凰時代を代表するお寺は薬師寺、天平時代を代表するお寺は東大寺、興福寺、あるいは唐招提寺なんですが、白凰時代の代表として薬師三尊像があるわけですね。薬師如来が座っておられる台座には珍しい模様がありまして、一番上が葡萄唐草文様(ぶどうからくさもんよう)といって、ギリシャ文化の影響を受けています。その下の小さな箱に入っている模様が蓮の花を上から見たような蓮華文様、これはペルシャの文化の影響を受けています。それから、インドの蕃人(ばんじん)が四方にありますけれど、力神(りきしん)、支えている神様ですね。これはインドの影響です。一番下には東西南北の四方四神と申しまして、東が青龍(せいりゅう)、南が朱雀(すざく)、西が白虎(びゃっこ)、北が玄武(げんぶ)。中国の道教の影響なんですね。ギリシャ、ペルシャ、インド、中国、その時代の世界の文様がここに描かれております。

昔、僧侶は掃除をするときにだけしかお堂の中に入れませんでした。お堂は言わばお厨子(ずし)※4みたいなものですので、お堂の外から拝んでいたんです。なので、仏様の目線もずっとお堂の外の方に向いておられます。台座の下の床に使われている白い石は大理石です。この当時にすでに用いられていたということですが、白いのと少し古色めいたのがありますが、昭和30年代に修理したときに傷んでいるのは換えました。同質の山口県から取り寄せまして作ったわけなんです。

※4 厨子・・・仏像,仏画,舎利,経典などを安置するいれもの。

この金堂の天井には宝相華が一枚一枚全部に描かれてあります。火災に遭った際に、左側の月光菩薩様が倒れて、手から手に伝わっている衣文(えもん)が折れています。それで、薬師如来様の腕にも傷がついたのですが、昭和37年に修理いたしました。

11月13日は法相宗の高祖・慈恩大師基の正忌日にあたり、大講堂で法要が行われました。薬師寺と興福寺の二寺で、 法要である「慈恩会(じおんね)」が1年交代で毎年行われています。

創建当初、この大講堂には幅7m高さ9mの阿弥陀如来の曼荼羅がかかっていたんですけれど焼けてしまいました。現在は、西院弥勒堂にあった弥勒三尊像を安置しています。本尊と脇侍(わきじ)の間におられる2体の僧侶の姿は、中村晋也(なかむらしんや)先生に作っていただいた無着菩薩と世親菩薩の像です。文化勲章をもらった彫刻家です。この大講堂が建つ前は、江戸時代に建てられた仮の講堂があり、現在の半分くらいの規模でした。

昔、仏像というものができるまでは、仏足石や菩提樹、法輪などそういったものをお釈迦様として拝んでいたんです。この仏足石は、お釈迦様が初めて説法されたインドのサルナートという場所から模様だけを持ってきたんです。中国の王玄策(おうげんさく)という特使がインドに行って写してきたんです。これは日本最古の仏足石で、現在は国宝になっています。

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