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古都、平城京の風薫る世界遺産 薬師寺(前編)

大唐西域壁画殿の絵の秘密

玄奘三蔵院の玄奘塔には、玄奘三蔵のご頂骨(ちょうこつ)、頭の骨を納めています。玄奘三蔵がインドまで行かれた目的は、唯識論(ゆいしきろん)を学ぶために行かれたんです。その唯識論というのは法相宗の根本経典なんです。その教えに則って、昭和46年に分骨していただいたんです。あの三蔵法師は西遊記の主人公で有名ですが、孫悟空など動物が出てきますから、架空の人物やと思われておりますが、そうではなく実在の人物だということで、もっともっと顕彰しなくてはいけないんじゃないかと思いました。そこで平山郁夫先生に壁画を描いていただいて、大唐西域壁画殿でいっそう顕彰しているわけです。 この玄奘塔の正面に「不東(ふとう)」と書いてあるのは、玄奘三蔵が西へ西へ、唐(東)の方からインドへ行ったもんですから、目的を達成するまでは一歩たりとも東へ戻って来ないと、「東せず」という誓いを立てて行かれたんです。元々、玄奘三蔵院は無かった建物で、復興ではなく全く新しいものですから建築許可が難しかったんです。薬師寺自体が特別史跡になっていますから勝手なものは建てられないんですが、特別に許可をいただいて建てたんです。

玄奘三蔵院の玄奘塔北側にある大唐西域壁画殿には、平成12年(2000年)12月31日に平山郁夫画伯が入魂された、玄奘三蔵求法の旅をたどる「大唐西域壁画」が祀られています。― 安田ご長老が壁画のご説明をしてくださいました。

入口のこの絵は、西安(当時の長安)の大雁塔(だいがんとう)なんですが、玄奘三蔵が長安を出発するときにはこの塔(大慈恩寺)はまだ建っていなかったのですが、帰って来られた3年後にこれが出来てました。ここで持ち帰った経典を翻訳されたわけです。この壁画の構成は七画面からなっておりまして、朝の風景から午前中、お昼、夕方、夜というふうに一日の流れになっています。玄奘三蔵がインドへ向かう途中、タクマラカン砂漠で倒れてしまって、意識不明になったんですけども、神様のお告げがあって目を覚まして立ち上がって行くわけです。そして、高昌故城(こうしょうこじょう)という・・・今はもう廃墟ですけれど、立派なお城がありまして、そこで麹文泰(きくぶんたい)という王様の援助を受けたんです。そして、ここまでは一人旅だったんですけれど、ここからは大勢の従者を連れて、それでインドまで行かれるんです。 その頃は唐の国の配下だったんですけども、帰ってきたときには謀反を起こしたということで、この城が唐に滅ぼされてしまいました。行くときは必ずもう一度ここに戻って来るという約束で出たんだけども、滅びたということを聞き、ここには立ち寄られなかったんです。

この真ん中のやや左側にあるのはエベレストですね。実際はこの山は登っておられませんけども・・・ご覧になったとは思います。

この絵はバーミヤンですね。今は無きバーミヤンの石の大仏さんですけども、東の大仏も西の大仏も破壊されてしまいまして、わたしは昭和39年に3ヶ月の行程でアフガニスタンへ行きまして、3週間ほどバーミヤンにおり、ヒンドゥークシュ山脈を馬で越えました。玄奘三蔵は北から南へ来られましたが、わたしは南から北へ行きました。その頃はまだ、大仏さんは破壊されておりませんでしたが、21世紀の最初に破壊されてしまったんです。

最後のこれは、玄奘三蔵が勉強をされたナーランダ大学と月の絵です。この絵に、人物が小さく描かれておりますでしょ。高田管長はこの作品をご覧にならずに亡くなってしまわれました。平山郁夫先生が申し訳ないということで、ここへ高田管長を入れますということで描いて下さったんです。玄奘三蔵の姿だと思っている方がいらっしゃるかもわかりませんが、これは高田管長なんです。ほとんど人物のない絵だけども、ここにひとりだけ立っておられるんです・・・。

*後編は、安田ご長老に「食」についてのお話をお聞かせいただきます。
後編へつづく

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