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世界が認める日本人シェフ 和久田 哲也

自分のお店を持って

最初の店は27歳の時に5000ドルで買いました。キッチンなんてストーブ1個とオーブンとシンク、それだけでした。だから5000ドルだったんですけど。最初は店を改装するお金もなかったので、とりあえずという感じで始めて。1年半くらいは大変でしたね。色んな雑誌や新聞にお店のことを書いて頂いたんですが、いつもその後は数人が見ましたと来てくださるくらいで。だから、1年半経った頃、「ダメだなぁ。」とやめようと思っていたんです。今週いっぱいでやめようと心に決めていたんですね。それで、その週ですよ。前の週に来たというお客様から連絡があって。予約のお名前や時間などを聞いていると、自分はサンデーヘラルドのライターだと言われました。日曜日の新聞でコラムを持っているからということで来てくれることになって。でも、期待はしていなかったんです、全く。そのライターの記事にしていただいた日曜日のことです。当時、住むところがもうなかったのでお店の上で寝泊りしていたんですが、一日中店の電話が鳴り止まないんですよ。それから一気に連日満席になりました。それが、人生が変わった瞬間だったのかも知れません。でもさすがにキッチンが手狭でこれ以上は出来ないと思い、次は建物ごとお店を買いました。それが29歳の時。でも、その段階でもまだアメリカに行きたいと思っていましたね(笑)。

建物を丸ごと買って一番初めにしたことはキッチンのリフォームでした。一番初めの店の苦い思い出があるから・・・他のお店に行ってキッチンを見るとピカピカのステンレスで、何でうちのキッチンはこんなに貧しいんだろうと思うわけですよ。だから、買ってすぐにとんでもないお金をかけて直しました。お客様は前のお店から引き続き来ていただけたので最初から繁盛していましたね。それで、始めて2年くらいしてちょっとお金をためて、一回お店を3ヶ月ほど閉めてビルを完全に建て直してそのあと8年くらいそこでやりました。

それで今のお店、サントリーさんが所有していた建物を1999年の終わりくらいに話をいただいて、買い取ることにしました。土地は1000坪、建坪が4600平米くらいと大きいんです。どういうわけか向こうから話を持ってきていただき、「本社の意向で撤退が決まりまして、それでここを哲也さんにやってもらいたいんです。」と。当時からその建物は有名で、今でも大使館と言われているんです。ゲートはいつも閉まっていて、車で入って行かなければいけないんです。でも、さすがにその時は頭金すら持ってなかったので、頭金まで銀行に借りました。

数億とかのお金で買えるようなものではなかったので・・・買いますとは言ったけど。それに、自分が買い取ったときには庭が全部ダメだったのですべてやり直すことにして。最初はあんなにお金がかかるとは思わなかったんです。買うのはなんとか買えたんですが、色んなところを直さなきゃいけなかったから、途方も無いお金が掛かって来て、銀行のマネージャーにこれ以上出せないと言われたときに、「直せなくて店が開けられなかったら、今までのお金が全部パーだよ?」って話をしたら「あなたは悪い人だなぁ。」と言われました(笑)。それで、結局お金は出してもらえて、銀行から言われたノルマもクリア出来たんです。でも、やっぱり最初の頃は色々言われていたみたいです。「さすがのテツヤもあそこを買って終わりだな。サントリーでも出来ないところをテツヤがやってもダメだろう。」って。そんな時、僕のお茶の先生がいるんですが、「先生、ちょっと見栄張っちゃいましたよ。」って話をしたら、「あら、いいじゃないの。見栄を張れないような男はダメよ。見栄を張って背伸びして、背伸びしたらそこまで頑張ろうと思うでしょ。そこからまた背伸びすればいいのよ。そうじゃないと成長がないじゃないの。」と言われましたね(笑)。でも・・・正直言いますよ、僕は本当に運が良いと思います。凄く運が良い人間だと思います。

僕はシェフになろうと思ったことはなかったし、本当に料理人になりたくて料理をやっていたというよりも、やっている内に面白くて、気が付いたら料理人になっていたという感じですね。周りの人たちがおだてたり喜んでくれたりしたから、料理人になったという気がしないでもないです。ただ、この仕事は好きです。料理を始めて30年、自分の店を持つようになって25年なんですが、みなさんがよくおっしゃるのは、「苦労したでしょ?」とお聞きになるんです。でも・・・してないんですよ(笑)楽しかったという気持ちが多いんです。確かに大変ではあったけれど、周りの人の方が大変だと思ったかも知れない。でも、無ければ無いでそれなりに食べて行けたら良いし、我々のビジネスっていうのは暇だったら食材はあるから自分で作って食べられるじゃないですか(笑)。だから食べるには困らなかったですね。

シェフとしての探究心と食材に懸ける思い

料理に関して言えば、世界中の有名なシェフを知っていますし、色んな料理を食べて自分の中に蓄積して来ましたが、その中でもうちの料理はベーシックでとてもシンプルなんです。そこは変えないんです。料理の基本的な作り方はある程度本を見ればわかるけれど、自分のテイストをどれだけ入れるかですね。火の入れ方だって色々ありますから。その食材を見て見極めるんです。オーストラリアの場合って食材が本当に少なくて、食文化というものが元々ない国だから、本当に生産するところからしなくちゃいけないんです。自分がサーモンを紹介されたときに、それはそれで美味しいと思ったけれど、実はサーモンが獲れない時に出されたトラウト(マス)はもっと美味しいと思った。でも、臨時的なものだったんです。だから、サーモンが年間通して生産できるようになったらトラウトは生産しなくなる。

僕は魚としてはトラウトの方が絶対に良いと思ったので、トラウトを扱っている会社の中から僕が一番気に入ったところに行って、僕がほしいトラウトを作ってくれませんかと言ったんです。そしたら、バカヤロウと言われましたね(笑)。と言うのは、彼らは元々漁師がお金を出し合って会社を作ったんですね。だから、自分たちは漁師であって養殖の専門業者じゃないと。でも、僕はそれでも自分の希望を伝えたんです。こんなトラウトがほしいと。そして、トラウトの養殖を一緒にはじめたんです。

トラウトの養殖には「ペン」と言って、海の中に直径50~100mくらいのプールを作ってその中で育てるんです。オーストラリアの南にある島タスマニア州のマクオリハーバーと呼ばれているところの水は汽水域で、つまり上の2・3mは淡水で、その下は海水なんですね。普通の養殖トラウトは、海の水で育てるとどんなに上手くやってもエラの部分に病気が出来てしまうので、3ヶ月に1回は全部魚を上げて淡水に入れるんです。でも、そこの海は自然に淡水と海水の層があるので餌を食べるときには淡水のところに上がって来て、また海水へ降りて行く。だから、魚を水から上げなくていいから負担がなくて質の良い魚になるんです。ストレスがかからないから魚に抗生物質やホルモンを与えなくて良いし、自然の状態に近いから絶対に美味しい。うちが関係しているからではなくて、そうやって養殖した魚は絶対おいしいという確信がありました。

養殖以外にも天然の魚ももちろん使いますが、オーストラリア近海で獲れる魚というのはどれも油が少ないんです。それは水温が高いから、脂肪があまり必要ないんですね。油がちょっと欲しいなと思ったら油を咬ませれば良いんです。それで料理に使うんです。ハマチも身が締まっていて美味しいんですよ。簡単に食べるときは、そんな厚く切らないでお皿に乗せて、それで醤油と煮きったみりんとお酒を辛みだけ外して、ほんの少しのニンニクを隠し味で入れて、そこにオレンジの皮を細かく切って混ぜるんですよ。オレンジの皮は苦味が強くないほうがいいですね。それで、その上からコショウとオリーブオイル。オリーブオイルで油を出すとおいしいです。ほんと、うちの料理はそんな感じなんです。素材をどう活かすかっていう、それだけだと僕は思うんですよ。元々僕は日本で料理の勉強をしていたわけではないので、これでなきゃいけないっていうのがないから、それが逆に良かったのかなと思いますね。

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