開高先生との思い出

ここに飾ってある色紙は開高先生が書いてくださったものなんですが、神田神保町に店があった頃、とある出版社の編集者さんに連れられて初めて来て下さいましてね。その時に先生は、初めのひとつを口に入れると、「このコハダ、違うね。・・・美味いなぁ。」と。それから、穴子を召し上がって「このアナゴも美味いねぇ・・・。」とおっしゃって、次々に食べて下さったんです。最後には、「この味、日本一やね!」とまで言って下さって、非常に感激しました。その時、一番とかそういうことではなくて、先生にそんなふうに喜んで貰えた事が本当に嬉しかったですね。

※ 開高健(かいこうたけし)・・・1930-1989。大阪市出身の小説家。「裸の王様」で芥川賞、「玉、砕ける」で川端康成文学賞受賞など。釣師、食通としても広く知られ、各テーマの出版も多数。新太郎の店内に飾られた色紙には、「入ってきて 人生と叫び 出ていって 死と叫ぶ」と書かれてある。

握り:コハダ、昆布〆のヒラメ、赤貝とイカ。

それから先生は東京にいらっしゃる度に必ずうちに来て下さるようになって、座る席はいつも決まっていました。ある時、先生と一対一になって鮨をお出ししていたんですが、私が握って出すでしょ。それで、次の鮨を握ろうとして手を戻したらもうお皿に無いんですよ。あんまり早いから、先生に「飲み込んでるんじゃないですか?」って言いましてね(笑)。そうしたら、「鮨は早く食べなあかん!」っておっしゃって。あまりに早いので、急いで握っても間に合わなかった、なんて事がありました。先生は日本だけではなく、世界中の取材した先々で色んな料理を召し上がって来られて、鮨のことも本当によく知ってらっしゃいましたね。

握り:マグロの赤身、煮ハマグリ、細巻き。

長年同じ仕事をするということは簡単なことではありませんが、長く続ける間に出逢えた人々が、今の私を支えて下さっています。ですから、いつまで続けられるかはわかりませんが、みなさんが応援して下さるので、これからも頑張って握り続けたいと思っています。

■店舗情報■
鮨 新太郎|東京都中央区銀座7-5-4 並木通り 毛利ビルB1F|電話03-3574-9936|定休日 日・祝|http://www.sushi-shintaro.jp

檜のカウンター越しに、ご主人の長きに亘る経験によって完成された「仕事」が何もかも見えます。 お鮨に合うよう選ばれたお酒と器。丁寧に仕度されたネタの数々。役者が揃うと、ご主人は流れるような手捌きでお鮨を仕上げ、最高の状態でお客様にお出しする。そして、小気味良い会話と、女将さんのさり気ないおもてなしが華を添えます。 コハダをひとつ口に入れると、ご主人の心がふわりと沁み込んで、幸福なひとときが忘れられない記憶に変わっていくような気がしました。

(2014年1月取材・文 島田優紀子)

*次回の「賢人の食と心」も是非ご期待ください。

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