トップ > 賢人の食と心 > 第11回「平常心是茶」茶の湯に宿る日本人の心(前編)

第11回(前編)

タイトル3

茶道のお稽古は、師弟が一対一で行なうことを基本としています。それに客の立場として同席する人がいたとしても、江戸時代初期頃まではせいぜい数人程度でなされてきたのではないかと思われます。

お茶を嗜まれる人は、主に武家や豪商などの限られたものだったのですが、江戸時代も中期に至り、次第に町人たちが経済的勃興すると共に飛躍的に増加しました。学びたい人が多くなると、必然的に順番待ちをする人が増え長く待たされます。

これを解消するために、如心斎は裏千家八世一燈(いっとう)宗匠や高弟である不白らと共に「七事式」という、複数人が同時に稽古するための式法を考案します。
員茶/数茶(かずちゃ)、廻花(まわりばな)、廻炭(まわりずみ)、且坐(さざ)、茶かぶき(ちゃかぶき)、一二三(いちにさん)、花月(かげつ)の七つの式法があり、いずれも複数の人が一組になって行ないます。

それぞれに決まり事があるのですが、根幹にある目的はお互いが切磋琢磨して茶道の精神と技を磨き、特に、例えば花月においては、各々が何をすべきなのか、またそれが独りよがりにならずに他者の為にも適っているという所作をその瞬間で無意識のうちに動けるようになるということがあると思います。

この七事式があったから、不白が江戸へ千家のお茶を広めようとしたときも、多くの人々に対応が出来、大名たちも次々と千家のお茶に価値を見出したのでしょう。 地方の藩主たちも江戸へ参勤交代で来た際に、自らが、あるいは側近に不白のお茶を習いに行かせ、それを地元に持ち帰ったのではないかと思います。そうして、江戸から全国へ広く茶道が広まって行ったのだと思います。

流儀を言葉に表すのは難しいのですが、たとえば不白が大切にしていた言葉にそれを求めることは可能でしょうか。

ひとつには、「只」という文字を悟りの境地を表す言葉として用いています。自筆の掛物に「只」と大きく書き付け、その脇に小書きで「茶道の奥義思い知れ 常に此の一字に参ずべし」と書かれたものがいくつか残っています。当時の高弟に書き与えたものでしょう。文字通り、ただただ只管(ひたすら)真摯に茶道に取り組めという教えかと思います。

また、不白の理念の根本にある「常」ということも忘れてはならないことだと思います。「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」という禅宗の言葉がありますが、これは平常の中にこそ自分の修業の場があるという意味です。
不白はそれを言い換えて、「平常心是茶」という言葉をのこしました。日常生活の中に常にお茶の考えがあるのだと。

同時に、「本立て(もとだて)」ということも数は多くないですが不白の理念の中核をなすものと思われます。これは不白が示した茶道訓の中に「只々我儘在ヘカラス本立テ時々ノ自由自在アルヘシ」という文言が見られますが、すなわち、どのような場面においても、物事の根本の部分を見据えてそれをはずさないようにしていれば、その時々の自由自在、応用自在が利くものなのであるという意味になるでしょうか。
これもまた「常」の理念の延長上にあるものということができるかと思われます。

今は「江戸千家」は一つの流儀となっていますが、不白自身は江戸千家という流儀を起したというつもりはなく、如心斎という恩師にお世話になった御恩をお返しするために、千家の江戸預かりとして行ったのだと思います。「江戸千家」という呼称も人々から最初は「江戸に下ってきた千家さん」と呼ばれ、それがだんだん縮まって「江戸の千家さん」「江戸千家」となっていったと言われています。

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