「平常心是茶」茶の湯に宿る日本人の心(後編)

初代川上不白が表千家七世如心斎の内弟子となり、千家のお茶を広めるべく江戸に下ってから260年余り。不白が伝えた千家のお茶は全国へと広がり、日本の文化として浸透していきました。その江戸千家宗家は、現在東京都文京区に庵を構え、不白がもたらした茶の湯の技と心を日々多くの人々に伝え続けています。

今回は、江戸千家宗家蓮華菴副家元 川上紹雪様に、茶道への思いと茶道の役割をお聞きしました。
<前編はこちら>

川上紹雪様

1958年東京生まれ。
江戸千家宗家蓮華菴副家元。大学卒業後、京都大徳寺如意庵に入寺、立花大亀老師のもとに参籠。大亀老師から「紹雪」の安名を授かり、披露の茶会によって若宗匠の格式を得る。
一般財団法人江戸千家蓮華菴常務理事
東京茶道会理事
江戸千家不白会副会長

茶道人生の岐路となった稽古

私が初めてきちんとしたお稽古を集中的につけてもらったのは、恐らく高校三年生のときのことでしょう。

毎年11月に孤峰忌(こほうき)と言って、流祖である川上不白(ふはく)(孤峰は不白の号)を偲んで行なうお茶会があり、命日である10月4日のひと月後に開いています。茶道では5月から10月は炉が塞がれ、いわば夏のお点前になりますが、11月になると再び炉が開かれ冬のお点前になります。また、春に摘んだ今年の新茶の葉を半年間保存し、その茶壺の口を切って使い始めるのがこの時期なので、11月は茶道にとってはお正月のようにおめでたい月なのです。そんな大切なときに流祖を偲び、お茶会を開くことで改めて流祖の思いを心するのです。

その孤峰忌では、七事式のうちの一二三(真台子(しんのだいす)という正式な点て方で御濃茶のお点前をして、客がそのお点前に対して点数を出していく。)という式法をする慣わしがあります。その時のお点前は若い社中の方がなさって、それに対して先生方が客につくという慣わしがあるのですが、この年は江戸千家会館が出来て最初の孤峰忌でしたから、一二三のお点前を私がするよう言われたのです。でも、それも強制ではないのですね。高校三年生といえば一応大学受検を控えていましたから、勉強が大変だったらやらなくても良いと。でも、やってくれたら助かるし、嬉しいと言われたのです。それで、仮に浪人をしても言い訳が立ちますので、やりましょうと(笑)。

それから、昼間は学校に行って、帰ってから勉強をして、社中の皆さんのお稽古が終わる夜10時11時ころから深夜まで自分のお稽古をつけてもらって、3・4時間寝てまた学校へ行くという生活をしばらくしました。それが、きちんとしたお稽古を集中的にした最初であったかと思います。

大学卒業後、大徳寺へ

大学を出たあと、京都大徳寺(だいとくじ)の如意庵(にょいあん)に参籠させていただきました。そこは、立花大亀(たちばなだいき)老師という茶道の世界では大変高名な禅僧の方が庵主でいらっしゃいました。

私はそこで雲水さんとしての修行をしたわけではありませんが、朝の読経や作務(さむ)といった勤行をしつつ、老師がお出かけのときにはそのお供をして、老師のお傍に仕える毎日でした。参籠の前に覚悟を決めて、老師に剃髪しますと申し出たときも、「そこまでせんでええ。」と笑われて何だか拍子抜けしました。すぐに逃げ帰ると思われていたのかも知れませんね(笑)。

でも、このお寺にいた期間というのはとても重要で、たとえば真夏の暑い日に草むしりをしながら、自分は何のためにこれをしているのか、本当にしたいことは何かということを自問し続けました。こうして自分と向き合う時間がたくさんあったことによって、一生掛けてお茶の道で精進することを決心するに至ったのだと思います。

今思えば、自分の生まれた意味や自分の進むべき道を考えることが、老師から与えられた時間の意味だったのでしょう。


おもてなしの心とは

茶道におけるもっとも特徴的なことの一つに、必ず相手がいるということがあると思います。すなわち、お茶を点て、そのお茶を飲んでくださる方がいる。これがとても大事なことで、亭主と客という異なった立場の複数の人がお茶室という同じ空間の中に寄り集まるが故に、お互いに人に対する思いやりや心配りが必要となってくるのです。

そして、そのお茶室という空間を、修練によってより広い外界に広げていくことができれば、日常生活全般、人の営みそのものに潤いがもたらされ、平和な世界を作ることができる。これは日本人古来固有の智慧であり見識であったと思います。最近の言葉でいえば、すなわち品格という言葉にもなるのでしょうか。

オリンピック招致のプレゼンで有名になり流行語にもなった「おもてなし」という言葉は、茶道の中にも息づいている言葉ですが、その「おもてなし」には実は「おもいやり」の心が裏打ちされていなければ本当の「おもてなし」にはならないと思います。人に対する気持ちがまずあって、それに対して自分がどう対処していくのか考えるということが非常に大切なことで、その心を日本から失くしてしまうと日本人らしくなくなってしまうのではないか、せっかく世界を感動させた「おもてなし」も単なる流行語で終わってしまうのではないかと思います。

世界的な感覚を持ち、インターナショナルな考え方ができるということは素晴らしいことで、また必要なことであると思いますが、その土台として、日本の歴史や文化を知り、日本人としての考え方というものを持っていないと、自らの立ち位置が不明瞭となり、存在意義の根幹が揺らいでしまうのではないでしょうか。

日本人らしさを思い出させてくれる茶道

侘茶の開祖といわれる村田珠光(むらたしゅこう)は、「月も雲間のなきは嫌にて候」という茶の湯の美意識を表現する言葉をのこしたとして有名です。まん丸に輝く満月よりも、少し雲が掛かっているくらいの月の方が風情がある。完全なものよりもそうでない方が奥ゆかしいと感じていたということです。

この喩えが相応しいかどうかは判りませんけれども、たとえばお茶席ではお軸やお茶盌など多くの道具が使われ、その組み合わせによってお茶会の趣旨が籠められます。それらについてのお話もお茶席の中での会話としては主たる旨の一つとなりますが、時にはそれら全てについて話が及ばぬうちにお点前が終わってしまうことがあります。もとより、お茶席の話は亭主による学校の授業や美術館の列品解説ではありませんから、本来は主客の会話が基本です。亭主は自分が用意した道具をすべて披露したい、客はその意図を汲んですべての趣向を伺いたい。でも、一方的に趣向のすべてを明かしてしまうのは何だか風情がないように思われませんか。完全であるよりも一つ二つくらい欠けているくらいのほうが余韻を感じられるのではないでしょうか。その不足した部分を主客各々の心の働きで補い合う。
表現が難しいのですが、そのような感覚がお茶席だけではなく日本人の中にあるような気がします。

幕末から明治大正にかけて海外の知識人がたくさん日本へ来たということですが、その多くの人が日本人を礼讃したと聞きます。

中には、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)という日本に帰化した方もおられましたが、そういった多くの方が日本に来たときに、日本人は物質的には貧しいけれど精神的に豊かだと感銘を受けられたそうです。

日本人は今もそのような心を持っているはずなのです。それを思い出させ、また一番具体的に表現できる存在というのがこの茶道ではないかと思います。

ですから、この日本が日本であるためにも茶道をなくさないように、私たちが頑張って行かなければならないと思っています。尚且、それが独りよがりにならないように、広く親しんでいただけるような形で続けて行くことが、私の使命だと思っています。


茶道具について

掛軸

先にもお話いたしましたが、お茶会では多くの道具(茶道具)が使われますけれども、それらを一覧にしたものが書かれることがあります。それを会記(かいき)というのですが、本来はお茶会を催す亭主のための使用道具の手控えだった、あるいは招かれた客が今日のお茶会を後に振り返るための記録だったと思われます。

それが今日では書式も整えられ、場合によると席中に出されて客の回覧に供されたり、寄付(よりつき:本席に入る前の待合)に張り出されたりもするようになりました。その会記を見てみると、各々の行頭に「茶盌」「茶入」などという項目が記され、その下に今日使う道具が記されています。

そしてよく見ると、その行頭が上がったり下がったりしています。その意味は、道具には位があるということなのです。床(掛物、お軸)が一番高く書かれているのは、すなわち掛物が最も位が高い道具であるという意味になります。お茶席の床の間に掛けられる掛物の字は印刷したものなどではなく、茶道文化の護持発展に尽くされてきた先人や高僧、偉人などの筆による手書きですから、例えばそこに私どもの流祖不白の書いた掛物が掛かっていたとしたならば、そこには200年のときを超えて不白がいるということになるわけなのです。あるいは、そこに書かれている文言は禅の公案や経文の一節、またはそれらを典拠としている言葉であることが多いですから、仏様の言葉が書かれている、すなわち仏様がそこにいらっしゃるという解釈も時には成り立つわけです。

会記

そして、掛物の次にはお花を書きます。お流儀によっては先に花入がくることもあります。床の間は一段高くなっていますね。私たちが座っている畳よりも一段高いということは、すなわち、私たちよりも貴い存在がいる場所ということができるでしょう。ですから、「席入り」と言いますけれども、お茶室、あるいは和室に入る時には、正式にはまず床前に進んで扇子を前に置き、掛物に一礼をいたします。お軸を書いた先達、あるいは仏様ご自身がそこにいるのでその方にまず挨拶をするということですね。そして、そのあとお花にも挨拶をする。お花になぜ挨拶をするかというと、今日のお茶会のためにそのお花は命を落としているからです。そのことに対してお侘びとお礼の気持ちを表すのが最初にすることなのです。

道具類

このようなお話をしますと、茶道は細かい決まりがあって敷居が高いと思われる方もいらっしゃるかも知れません。 しかし、茶道には、書やお花、お香、陶磁器、漆(器)、金工、木竹芸、染織の裂地などといった伝統工芸。懐石料理、お菓子にお茶や、お能や礼法の所作にも一脈通じるような作法。あるいは和歌や俳句などをはじめとした文学、邦楽や能楽の謡といった音楽、日本や中国の歴史や故事来歴などといったいわゆる素養・教養。加えて日本の豊かな四季の移ろいに、動植物や自然・景勝。さらには「清め」とか「籠り」、「ハレ」とか「ケ」などといった民俗的な要素までもが含まれ、それらは茶の湯発生の源であるところの禅仏教を中心とした宗教儀式に端を発しつつ、日本古来の神道の思想を礎として成り立っていると思います。茶道に触れることによってそういう極めて幅広い日本文化を総合的に知ることができると思いますので、興味のあるところから取り入れて頂いて、平常の中にお茶の心を想う時間を設けて頂ければと思います。

茶道においてもっとも大切なことは、人が人を思う「思いやり」という日本人古来固有の世界にも誇るべき心のはたらきがその根底にあるという点でしょう。茶道に触れていただくことによって、そういった本来日本人が持っていたもの、持つべきものを今一度思い出すきっかけにしていただけましたら幸いです。

江戸千家宗家蓮華菴公式サイト http://www.edosenke.or.jp/

こぽこぽと湯気が立ち上るお茶室で、若宗匠の洗練されたお点前に見惚れていました。茶道の作法は、人に対するおもいやりの心が形になっているのだと改めて感じ、日本人として他人をおもてなしする際の一番大切な心を教えていただきました。 茶道の世界は本当に奥が深いものですが、自国の文化を知ることで日本人としての誇りを持ち、おもてなしの心をもっと上手に表現できたら。日本は物質的にも精神的にも豊かな国として、世界に素晴らしい文化を発信できるのではないでしょうか。

(2014年3月 取材・文 島田優紀子)

*次回の「賢人の食と心」も是非ご期待ください。
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