トップ > 賢人の食と心 > 第11回「平常心是茶」茶の湯に宿る日本人の心(後編)

第11回(後編)

おもてなしの心とは

茶道におけるもっとも特徴的なことの一つに、必ず相手がいるということがあると思います。すなわち、お茶を点て、そのお茶を飲んでくださる方がいる。これがとても大事なことで、亭主と客という異なった立場の複数の人がお茶室という同じ空間の中に寄り集まるが故に、お互いに人に対する思いやりや心配りが必要となってくるのです。

そして、そのお茶室という空間を、修練によってより広い外界に広げていくことができれば、日常生活全般、人の営みそのものに潤いがもたらされ、平和な世界を作ることができる。これは日本人古来固有の智慧であり見識であったと思います。最近の言葉でいえば、すなわち品格という言葉にもなるのでしょうか。

オリンピック招致のプレゼンで有名になり流行語にもなった「おもてなし」という言葉は、茶道の中にも息づいている言葉ですが、その「おもてなし」には実は「おもいやり」の心が裏打ちされていなければ本当の「おもてなし」にはならないと思います。人に対する気持ちがまずあって、それに対して自分がどう対処していくのか考えるということが非常に大切なことで、その心を日本から失くしてしまうと日本人らしくなくなってしまうのではないか、せっかく世界を感動させた「おもてなし」も単なる流行語で終わってしまうのではないかと思います。

世界的な感覚を持ち、インターナショナルな考え方ができるということは素晴らしいことで、また必要なことであると思いますが、その土台として、日本の歴史や文化を知り、日本人としての考え方というものを持っていないと、自らの立ち位置が不明瞭となり、存在意義の根幹が揺らいでしまうのではないでしょうか。

日本人らしさを思い出させてくれる茶道

侘茶の開祖といわれる村田珠光(むらたしゅこう)は、「月も雲間のなきは嫌にて候」という茶の湯の美意識を表現する言葉をのこしたとして有名です。まん丸に輝く満月よりも、少し雲が掛かっているくらいの月の方が風情がある。完全なものよりもそうでない方が奥ゆかしいと感じていたということです。

この喩えが相応しいかどうかは判りませんけれども、たとえばお茶席ではお軸やお茶盌など多くの道具が使われ、その組み合わせによってお茶会の趣旨が籠められます。それらについてのお話もお茶席の中での会話としては主たる旨の一つとなりますが、時にはそれら全てについて話が及ばぬうちにお点前が終わってしまうことがあります。もとより、お茶席の話は亭主による学校の授業や美術館の列品解説ではありませんから、本来は主客の会話が基本です。亭主は自分が用意した道具をすべて披露したい、客はその意図を汲んですべての趣向を伺いたい。でも、一方的に趣向のすべてを明かしてしまうのは何だか風情がないように思われませんか。完全であるよりも一つ二つくらい欠けているくらいのほうが余韻を感じられるのではないでしょうか。その不足した部分を主客各々の心の働きで補い合う。
表現が難しいのですが、そのような感覚がお茶席だけではなく日本人の中にあるような気がします。

幕末から明治大正にかけて海外の知識人がたくさん日本へ来たということですが、その多くの人が日本人を礼讃したと聞きます。

中には、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)という日本に帰化した方もおられましたが、そういった多くの方が日本に来たときに、日本人は物質的には貧しいけれど精神的に豊かだと感銘を受けられたそうです。

日本人は今もそのような心を持っているはずなのです。それを思い出させ、また一番具体的に表現できる存在というのがこの茶道ではないかと思います。

ですから、この日本が日本であるためにも茶道をなくさないように、私たちが頑張って行かなければならないと思っています。尚且、それが独りよがりにならないように、広く親しんでいただけるような形で続けて行くことが、私の使命だと思っています。

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