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みりんは女性好みの甘いお酒だった

こちらが製造場。普段は川石さんが一人で作業を行いますが、仕込みに忙しいときは5、6人の杜氏が手伝ってくれるそう。

みりんの発祥についてははっきりとはわかっていません。諸説ある中で有力とされているのは2説あり、1つは中国清明の時代に「蜜淋(みいりん)」と呼ばれる甘いお酒があり、それが日本へと渡り広まったという説。もう1つは、博多が発祥とされている練酒(粘度が高く甘酸っぱい酒)や甘い白酒に腐敗を防ぐ目的で焼酎が加えられたことがみりんづくりのきっかけになったのではないかという説です。

江戸時代の風俗を綴った『守貞漫稿』には、戦国時代の人々の間でみりんが飲まれていたという記述があります。甘く口当たりが良いことから、最初は調味料としてではなく、女性やお酒に強くない人でも楽しめる嗜好品として広がりました。そのころ江戸では、みりんを焼酎で割って甘さを抑えた本直しと呼ばれるアルコール飲料がブームにもなっていたほど人気だったとか。今でいうスイートワインのような感覚で親しまれていたのではと川石さんは言います。

「昔は正月のお屠蘇といえばみりんでした。でも今は調味料の印象が強いので、そのまま飲むなんて想像もできないという人が多いようです。イベントなどでお客さんに試飲を勧めることがありますが、最初は皆さん嫌厭されますよ。でも少し口をつけてもらうと、みりんってこんなにおいしいの?と驚かれます」。

飲料としてのおいしさを追求し製造技術を進歩させていった結果、甘味がアップ。江戸時代後期には砂糖の代わりとしてうなぎのたれやそばつゆに利用するようになりました。以降、調味料として料理店で用いる機会が多くなったものの高価で、一般に普及するようになったのは昭和30年代から。大幅な減税がなされたことで徐々に家庭でも使われるようになっていったのです。

丹精込めて育てた米が味の軸

熟成が進むタンクの中をよく見ると、ふちから黄色の液体が浮き上がってきているのがわかります。整然と並んでいるのは本みりんづくりに必要な道具。杜氏たちの力を借りながら、今年も新しい味が生まれます。

流通しているみりんの多くは原材料と製造の大半を海外に依存しているのが現状です。大手メーカーなどでは中国やベトナムなどに製造工場を持ち、現地の米でつくったもろみを輸入。搾りの作業を日本で行うことで原価を極力抑え、安価での販売を可能としています。

しかし川石さんは、先祖が大事にしてきた高い品質を守るため、海外に頼ることをよしとはしません。みりんづくりに使うもち米と麹米は自社が持つ田んぼと近隣の耕作放棄地を借り、毎年自ら栽培しています。生育に欠かせない水はそばを流れる川から引くのではなく、わざわざ自分で掘った井戸の水を与えるというこだわりよう。「米の味を確かめる食味計で測定すると、川の水で育てた米と井戸水で育てた米には5点ほど差が出ます。このわずかな違いがみりんの味に大きく影響してくるんですよ」。

自社栽培米を使うのは創業当時から貫いてきたやり方です。「昭和の大量生産の時代にはこんなに細々とやっていることに恥ずかしい気持ちもありました。でも今となっては米づくりから取り組める製造元はそうないし、小さな蔵だからこそできる強みでもあります。海外に頼るとコストダウンができることはわかっていますが、今は原材料の産地にまで消費者が意識を向ける時代。今のままの味でお客さんには喜んでもらっているので、手間はかかっても昔からのやり方は手放すことができません。ゼロから自分で手掛けているので、出来上がった商品への思いもひとしおです」。

(つづく)

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