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一般客もウェルカム

茶碗や皿、スプーンも圧倒されるほどの種類。道具屋筋は品ぞろえの豊富さが何よりの魅力です。プロが使う鍋は強力なガス火にも負けない丈夫な仕様。厚みがありやや重さはあるものの家庭でも好んで使う人が多いそうです。

プロとの付き合いが主な商店街ですが、もちろん一般客も買い物を楽しむことができます。家庭でも気軽に使える掘り出し物を見つけるのも道具屋筋をそぞろ歩く醍醐味です。食器やグラスなどはまとまった数がそろうので、ホームパーティー用にまとめ買いしたいときには便利。ばら売りにも応え、たとえば箸置きなど小さなものも気兼ねなく1個から買えます。店の隅っこには1枚100円ほどの皿や椀といった特価品が無造作に置いてあることも。宝探し気分でお気に入りの品を探すのも一興です。

また、鍋やフライパンは長く使える品質の良いものに出合えるチャンス。プロ用の調理器具は一般に販売されているものとは異なり、耐久性に優れたものが多く、使い勝手や利便性を追求した工夫が細部に施されています。眺めているだけではわかりませんが、店員さんに尋ねてみると「なるほど!」と商品のすばらしさに気づかされたり、家庭での手入れの仕方なども丁寧に教えてもらったり。なんでもインターネットですぐに手に入る時代になりましたが、ここでは心の通った対面販売がまだ大切にされていて、その温かさをしみじみ感じることができます。

道具屋筋の歴史

ホームセンターなどに押されて街中ではなかなか見かけなくなった金物店も健在です。

千日前道具屋筋商店街の起こりは1882年(明治15年)。法善寺の千日前から四天王寺のお大師さんや今宮戎神社への参道沿いに、古道具屋や雑貨商が軒を連ねたことが始まりです。大正になると古道具屋は道具屋へと移り変わっていき、最初は少なかった店数もいつの間にか20軒に増えていました。

1935年(昭和10年)になると周辺に飲食店が多いという地の利を活かした商売に転向。飲食店の道具を売ることに特化した専門店へと変わり始め、ミナミの街と共に急成長していきます。ところが太平洋戦争が始まり人々の生活が苦しくなると、道具屋筋の商売も危機的状況に。1945年(昭和20年)の大阪大空襲で焼け野原になってしまい、バラックを建て再建へと奮起しました。生活が落ち着き、得意先が戻り始めたことから道具屋筋も復活。バラック建てだった通りに店舗が整い、1960年(昭和35年)に本格的に商店街として再スタートしました。1970年(昭和45年)の大阪万博の開催と時を同じくして、アーケードを建設。現在の姿となっています。

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