備前焼を通して伝えるおもてなしの心(後編)

藤原和

1958年 備前焼の人間国宝・藤原雄の長男として備前市穂浪に生まれる。明星大学卒業後、帰郷。同じく人間国宝であった祖父・啓、父・雄に師事し、作陶を始める。
1990年 初窯を焚く。翌1991年、岡山天満屋での初個展を皮切りに、日本橋高島屋など全国のデパートやギャラリー及び国内外で、毎年個展を開催する傍ら、祖父や父の記念展などをプロデュースする。
近年、今あらためて日本人の育んできた「伝統と文化」や「縁」といった、「日本の容」に対する想いを藤原備前の継承者として、土を通じ発信し続けている。

■所属 
社団法人 日本工芸会・社団法人 日本工芸会 中国支部/社団法人 日本学士会、社団法人裏千家淡交会 岡山支部 及び 岡山烏城・旭川・後楽各青年部顧問備前焼陶友会理事/協同組合 岡山県備前焼陶友会 理事/財団法人 藤原啓記念館理事長/Holland・Universietit Leiden客員教授

母屋の奥から次々と運ばれて来る料理。ひと皿、またひと皿とテーブルに置かれる度に、丁寧に支度された料理であることがしみじみと伝わって来る。器は全て備前焼。「お客さんが来たら、近所でとれる食材で料理をお出しする。」その言葉にまるで実感が湧かないほどの豪華な料理の数々が広いテーブルを覆ったところで、先生のお話が再び始まった。

藤原家のおもてなし料理は、瀬戸内の幸をふんだんに使った、旬の素材の数々。今回は、鰆(サワラ)のお刺身、イイダコの煮物、黒メバルの煮付、アナゴの焼き物、茹でエビ、酢の物、そうめん、桃太郎ブドウをお出しくださいました。

うちで出す料理の話で、昔のことなんだけど・・・ 家にお客さんが来るとするでしょ?そしたら、祖父が釣竿持って海に出かけていく。それで、お客さんが3人なら3匹釣れたら帰って来るんだ。魚の種類は関係ないの。煮付けにしちゃえばみんな同じ味になるからって(笑) あと、『しらも(白藻)』って言って海藻なんだけど、それを酢の物にする。今でも備前地方でしかあまり流通してないみたいだけど、昔は売ってるものじゃなく、海辺の道端に落ちてるものだった(笑)魚はじいさんが釣って来るものだし、野菜はばあさんが畑で育てて、肥料と言えばトイレから汲んで撒いてるから、虫が食って穴があいてるなんて当たり前だった。むしろ、虫も食わないような野菜なんて食えないだろうっていう認識が僕らのベースにあったから、たとえば『近海で獲れた天然の魚介類』とか、『有機農法で育てた野菜』ってところに特化して、それが栄養があって滋養があるもんだって言わなきゃいけない人達ってかわいそうだと思うんだよね。だから今でも田舎者でそういう育ちをしたのは感謝してるよ。 そんな意味で、お客さんをもてなす料理って言うのは、僕らの感覚でいうと「地のものを調理してお出しする」ってことなの。だから、特別なものじゃないんだ。

どのお料理も新鮮で上品な味わい。何よりも、和先生作の重厚な備前の器に盛り付けられた品々。それ自体、すべてが作品のようでした。 なかでも、アナゴの焼き物は絶品!先生自ら焼かれるそうで、このアナゴを食べたいからといってお見えになるお客様も多いとか。 先生いわく、「うちは料理屋じゃないんだけど?」(笑) (実は、作品が並んだ棚に不自然に空いていた空間があったのですが、そこに置いてあった器は、なんと!今回のお料理の器として出されていたのです。)

岡山では昔から瀬戸内で獲れるサワラを生で食べるんだ。 サワラは、足が早い魚だから鮮度を保つのが難しい。だから、他の地域では西京焼とか加工した食べ方しかないんだろうね。 酢の物はさっき言った「しらも(白藻)」と揚げ、キュウリなんかを酢で 和えてる。季節によってシャキシャキした歯ごたえが違っててね。美味くない時もあったり。海草にも旬があるんだね。 僕が陶芸家として大切だと思っているのは『品』。上品・下品じゃなくて。俗に言う、居汚いのはダメ。 居汚いって、あんまり言わないかなぁ?だらしないのと小汚いのと薄ら汚いのがいっぺんになってる感じ。 どんなものを作っても、品というものは作品に出てしまうからね。

物を作る人間っていうのは、とにかくまず「品性」。その次は「感性」だと思っている。

感性はある程度養えるんですよ、そういう環境にさえ置いてあげれば。 例えばうちのお弟子さん・・・。高校生とかも訪ねて来てくれるんだけど、基本的には大卒しか採用しないんですよ。 それには意味があるんだ。東京や大阪や、そういった都会にはいろんな一流のものが集まってる。だから、とにかく都市部の学校に行って、週末なんかに美術館を見に行ったり、ギャラリーを見に行ったり・・・。それと人の集まるところって食べるものも一流が沢山あるんだよね。

「料理」と「調理」と「食事」と「エサ」は違うと思うんだ。

料理はお金が取れるもの。調理はおかあさんが作ってくれるもの。食事はお腹を満たすもの。エサは生きるために摂取するだけのもの。 学生だとお金は無いかもしれないけど、例えば、有名なお寿司屋さんに行って、「今日は白身は何がいいですか?」って、白身だと安いから。それで、そのネタだけを食べさせてもらう。そうして一流の雰囲気を味わって、他にも食べたいものあってもこらえて、歩いて新橋までいってラーメン食ってお腹ふくらませて(笑) 僕は、そうやって教えてもらった。

ちゃんとしたお店がちゃんとしたお店である為にはどんな努力をしているか、自分で行かなきゃわからない。食わなきゃわからない。だから、実体験する為の期間っていうのが必要だと思うんだ。

お腹を満たすものと味わうもの・感じるものは違う。それが作品に必ず出る。そういう4年間をアルバイトしてお金が入ったら、「千円のものを10回食いに行くんじゃなくて、1万円のものを1回食いに行く。」という感覚になった方が絶対に良い。そうじゃないと、洋服買いに行くにしてもちゃんとしたレストランに食事行くにしても平気でジャージで行くようになっちゃう。
何となく・・・居汚いイメージでしょ? 


『僕の信条は、土に素直に、火に素直に。』

素材の特性を活かして、いかにベストな表現が出来るかってところをこれからもまだまだ探究したいと思ってる。 土によって土の特性が全然違うから。備前焼って千何百年も続いているけど、まだ何かあるはず。 絶対、他にも表現方法があるはずなんだよ。今はまだ、それが何なのかわからないけどね。

僕は、それを見付けなければならない。

記念館の中庭から海を眺め、備前焼がどうしてこの地に生まれ、日本人の心に響き、千数百年も愛されてきたのかが、少しわかったような気がした今回の訪問。

棚に収められた渾身の作品を客人をもてなす料理の器として、惜しげもなくお出しする。その先生のさりげなくも真心のこもった「おもてなしの心」が胸の奥にじんわり温かく残っていました。

「心を育てる」ということが、人の品格を形成していく上で大切なことであり、それが作品づくりに影響し、ひいては「生き方」にも表れるのだということ。そして、食べ物はその選び方によって、体だけではなく、心も育んで豊かに成長させていく。

今の時代に失われつつあるものが、ここにはあるようでした。

*次回の「賢人の食と心」も是非ご期待ください。
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