古都、平城京の風薫る世界遺産 薬師寺(後編)
「水煙の天つ乙女が衣出のひまにも澄める秋の空かな」 会津八一
のどかな田園地帯の残る西ノ京に、まばゆいばかりの薬師寺は創建当時の壮麗な佇まいを今に伝えています。金色の水煙に舞う天女の裾が澄んだ空の青に染まり、境内にはどこからともなく風鐸(ふうたく)のカランカランと乾いた音が聞こえていました。
後編は、安田暎胤猊下に「食」についてのお話をお聞かせいただきました。 <前編はこちら>
昭和25年 薬師寺に入寺
昭和37年 龍谷大学大学院文学部修士課程修了
昭和42年 薬師寺執事長・法相宗宗務長に就任
平成10年 薬師寺副住職に就任
平成15年 薬師寺管主・法相宗管長に就任
平成21年 8月より薬師寺長老となられる
現在 薬師寺長老
(公財)世界宗教者平和会議 日本委員会 評議員
日中韓国際仏教交流協議会 常任副理事長
(公財)国際仏教興隆協会 理事長
■著書
『佛の道を思う朝』(講談社 1990)『玄奘三蔵のシルクロード シリーズ』(東方出版1998-2002) 『心の道しるべ』(講談社 1999)『この道を行く』(講談社 2003)『人生の四季を生きる』(主婦と生活社 2003)『住職がつづる 薬師寺物語』(四季社 2004)『花のこころ』(講談社 2007)『まごころを生きる』(大法輪閣 2008)『五つの心』(主婦と生活社 2008)他
五観の偈(ごかんのげ)とは・・・ 主に禅宗において食事の前に唱えられる言葉。中国から伝わり、日本では曹洞宗の祖・道元禅師 (1200年 - 1253年)が紹介したのち、広まったとされています。
食は正に命です。食べなかったら生きていけませんから。だから、食べる、いただきますものを吟味していただくんですけれど、まずは何より感謝の気持ちが大事です。 ここに「五観の偈」という、食前に唱える言葉があります。
命のないものは食べられません。すべていただくものは命を持っています。動物や植物を含め、他の命の犠牲において生かされているのが人間ですね。ですから、せめて「いただきます」という。それは何をいただくかというと、そのお命をいただくということです。今、日本は食べずに捨てられることがたくさんありますね。たいへん勿体ないことで、そういう勿体ない生活をしていると、またやがて日本は飢餓列島になってしまうんじゃないかと思います。ものが豊かなことはありがたいことなんですけれども、ものと同じように心の豊かさをレベルアップさせなければいけません。そのためには、感謝の心を大事にすることじゃないかと思います。
そういうことで、感謝の気持ちと申し訳なさと含めて食事をいただかなくては、本当にもったいないことです。
高田管長が管主になられ、薬師寺復興の活動を始められたのですが、当時わたしは執事長のお役目をいただいており、檀家を持たない薬師寺で再建費用を集めるにはどうすればいいかと。そこで写経による供養料として費用を集める提案をさせていただきました。高田管長はそれを全国に広められ、わたしは中のこと(受け入れる仕組み作り)をさせていただいておりました。師匠(元管主 橋本凝胤猊下)のもとで、共に弟子の時代はずっと同じ釜の飯をいただいておりました。 高田は師匠の1番上の兄弟子でしてね。色々と教えられることがありました。なかでも継続の力といいますか、執念を燃やして、本堂が復興するまでは一切の義理も欠くと。他の方の結婚だとかお葬式なんかも出なかったです。これをするならばあれを捨てよということで、復興のことだけを考えておられました。高田管長が亡くなる前に一番よく話をしたことは、お米を大事にすることと親を大事にすること、その2つでした。
朝は毎朝、茶粥をいただきます。わたしが来た昭和25年ころは白粥でしてね。余計めに炊いて、残ったらあくる日もですから、最後は糊みたいになっていました。(笑) それで、ある時に茶粥の炊き方を習いましてね。サラッとした、お茶漬けよりちょっとやわらかいようなご飯で非常においしいんですよ。お茶は番茶です。先にお茶を沸かしておいて、洗ったお米を入れて沸騰したら溢れないようにかき混ぜながら、やや芯があっても硬いめくらいで火を止めて。食べる頃にはちょうどサラッとしたお粥ができます。 昨日(11月13日)は法相宗の宗祖、慈恩大師(じおんだいし)の命日で、薬師寺と興福寺が交互で法要しているんです。今年は薬師寺でやって来年は興福寺でやるんです。そのときに必ず出てくるのはけんちん汁。これは各坊さんの奥さん方が集まって一日前から準備して、大根、牛蒡、椎茸、芋、油揚げ、豆腐を入れて。それはおいしいですよ。
わたしが入寺した頃は物のない時代でしたが、お寺ではご飯は意外と多く食べられたんです。ご飯のおかわりは出来たんですが、おかずは限られていました。たまにじゃが芋と油揚げのカレーライスもでました。他は椎茸丼ですね。椎茸を焼いて、生姜醤油にひたして、どんぶりのご飯のあいだに入れて、また上にも椎茸を乗せます。これはお客様にお出しする特別な料理です。お客様が来られた時にだけ食べられるご馳走でした。夏休みは、昼は毎日素麺です。保存が悪いもんだから虫がついていたりするんですよ。それでも食べようとしたら、その虫だって動物性たんぱく質やと言われました。(笑) それから、まぜご飯といいますか、色ご飯といいますか。野菜をいっぱい入れて、人参、牛蒡、芋とか。そういうご飯の時もありました。味つけは醤油を入れてかき混ぜて。そのご飯の場合は他におかずはありません。お汁があるだけです。お汁の具は油揚げや豆腐、菜っ葉ですね。精進料理ですから卵も入れません。正月になると、一日目は味噌汁のお雑煮なんです。二日目はすまし汁のお雑煮。三日目は小豆粥のお雑煮なんです。夜通しお参りしますからお腹空きましてね。お餅をいっぱい食べました。皆で「今日何個食べた?」という具合に競争しながら。大きなお椀にいっぺんに5つくらい入れて、ひたすら食べました。(笑)
子どもの頃の話ですが、岐阜に住んでいた当時、4つか5つのときにおじいさんがたててくれたお抹茶を初めて飲ませてもらったんです。ピンク色をしたようかんを食べて、そのあとお抹茶を飲んだんです。・・・うまいなぁ・・・と思いましたね。お抹茶の味とようかんの味がマッチして、子ども心にお抹茶がなんとも言えなくおいしかったです。泡立ったお茶なんて飲んだことなかったからね。普通、子どもはお抹茶なんて好みませんけどね。それから何年も経って奈良に来てから、お抹茶が出て、「あ、これだな。」と思いました。初めて飲んだときはお抹茶という言葉も知りませんでしたから、こちらへ来てそれがお抹茶と知りました。久しぶりにいただいたそのお抹茶もまた、美味しかったです。
食事は、腹八分目が良いですね。あるお医者さんは「腹八分目で医者要らず、腹六分目で老い知らず。」という方がおられました。わたしは外食をしたときに、見て食べきれないと思ったら持ち帰りさせてもらいます。または、最初から手を付けずに、裏で召し上がってくださいと言うようにします。だから、今はほんとに一度の食事の量が多すぎますね。米一粒でも食べなかったら勿体ないことです。高田管長はお呼ばれが多かったので、いつも折りたたみ式の入れものを持っていました。それで食べ切れなかったものは持って帰ってきて、弟子に食べさせていました。あのオードリー・ヘップバーンが、晩年にユニセフの親善大使になりましたね。彼女は若いときには反ナチス運動で逃亡生活をしておったんです。逃亡していると食べるものがなくて、飢え死にしそうになったときに見ず知らずの方からパンをもらって、それで命をながらえたそうで。生涯そのご恩を忘れないということで、貧しい子どもたちの救済に晩年は尽くしましたね。ある時パーティの席で、女性たちがバイキングを食べる姿を見ていると、勢いよく料理を取ってまだ半分くらい残っているのに次を取りにいく。それを見て、どこの先進国もみなそうだと。食べきれないほど持ってくるのではなくて、何故食べられる分だけ持って来ないのか。そして、余って捨てるようなものはバングラデシュに持って行きたいと思ったそうです。あちらでは、子どもたちがみんなパンが欲しいと言う。ある時、ひとりの女の子にパンを渡したら、その子が貰ったパンを半分に割ってわたしにくれようとした。そういう分かち合う心を持っている。・・・そんな体験をして、粗末にする食事の仕方に警鐘を鳴らしておられました。
人間には二つの心がありましてね、一つは自分だけ幸せになりたいという欲望と、もう一つは自分を犠牲にしてでも人を助けたいという欲望、いわゆる自利(じり)と利他(りた)の心が両方あるんです。で、どちらがいいかというと、もちろん利他は素晴らしく・・・素晴らしいんですけれど行動が難しく、そこに生きがいを感じる方もあるわけです。仏教というのは、そういう利他の精神を大いに発揮せよと、自我を捨てろということを強調するんです。でも、人間も動物ですからどうしても自己中心的な考えが働きまして、美しい心をさえぎってしまうんです。それが問題なんですけども。すべての宗教は何が良くて何が悪いかということがわかっているんです。イランに行ったときもホメイニ※ という人の本を読みましたら、「諸悪の根源は自己中心的欲望にある」と書いてありました。仏教でも同じだなと思いました。仏教は無我なりと申しますけども、自分を立てることを自我といい、そういう自我を捨てること、他人のために尽くすことが無我なんですね。そういうことで、分かち合う心、無我になる心を育てることが大事なことなんです。阪神・淡路や東日本大震災のとき、みなが助け合っていたように困った人がいれば救いたくなるのも人間なんですね。みんな良い心を持っているんです。それを仏の性質、仏性(ぶっしょう)といいます。だから、鬼の心と仏の心を両方持っているのが人間なんですね。それは、縁によって大きく変わるものだと思います。
わたしはいつも、感謝の心、慈愛の心、敬う心、詫びる心、赦す心。この5つの心を持ってもらうことを提唱しています。感謝の心というのは、誰もが皆幸せを求めて生きていますね。その幸せは、感謝する心に訪れるものだと。慈愛の心はさっき申し上げた利他の心です。そして、敬う心というのは、親を敬う、神仏を敬う、自然を敬う、友を敬う、子どもを敬う、六方礼拝もそうなんですが、敬いの心を常に持って接するということです。詫びる心は、人間は100%、完全じゃありませんから、失敗もしますね。その失敗のときに素直に自分の非を感じて先に詫びることが大事です。詫びる心というのは自分が謙虚にならないと出来ません。素直にならんと出来ません。 最後に赦す心ですが、法然上人(ほうねんしょうにん)の有名な話がありますね。法然上人が子どもの頃に、明石源内武者貞明がお父さんに夜討をしかけて殺害してしまうが、死ぬ前に仇討ちをするなと、お前は出家してわしの菩提を弔ってくれたらいいということを言って、法然上人は仇討ちをしなかった。報復の連鎖を断ち切ったわけです。そういうふうなこともあって法然さんは出家されたんですね。 赦すこと、詫びること、それらは大変難しいことではありますが、感謝の心、敬う心、慈愛の心とともにこの五つの心を持つということが、よい人間関係を保つためにもとても大切なことだと思っています。
境内のどこからか聞こえてくる笑い声。その声に引き寄せられて、東僧坊という広間を覗くと、そこには一人のお坊さんの話を、大笑いしながらも真剣に聞き入る大勢の学生達の姿が・・・。私たちがなにを身につけなにを残すべきか、今回の取材の意味を、その子ども達の笑顔に見つけたような気がします。
戦後、経済が発展した日本に「物で栄えて心で滅ばぬように」と警鐘をならされた、故高田好胤管長の「まほろば塾」の精神を引き継ぎ、安田ご長老を中心として設立された「薬師寺21世紀まほろば塾」。まほろばとは、優れた美しいところを意味します。日本の歴史と文化が育んできた日本人の「豊かで温かなこころ」を忘れないようにとの思いで、現在も薬師寺境内での活動のみならず全国各地で開塾されています。
お身体が万全でない中、長時間にわたり広い境内をご案内くださり、ご長老はわたしたちにたくさんの「利他の心」を与えてくださいました。冷たい風が吹く中、わたしたちが見えなくなる最後の最後までお見送りをしてくださった安田ご長老。その優しさに、本当に心が温かくなる思いがしました。
1300年という時を経てもなお未来をみつめる薬師寺は、この先も悠久の時を刻み、多くの人の縁と心をつなぐ「まほろば」であり続けることでしょう。