世界で唯一、京都にしかない天然砥石の魅力を伝える

刃物の切れ味を良くするためになくてはならない砥石。山から採掘する天然砥石は、古くから世界で京都にしか産出しない希少品として扱われてきました。時代とともに採掘現場や砥石職人が少なくなる中、砥取家は京都・亀岡山系にある丸尾山で天然仕上げ砥石を採掘しています。多彩な紋様や色は自然が悠久の時の中で育んだ芸術品。コレクターもいるという砥石の奥深い世界をのぞいてみましょう。

砥取家

天然砥石の採掘・加工、販売等を行う砥取家は明治10年に創業。土橋要造さんは四代目として今も現役で砥石山に入り、昔ながらの手法で天然砥石の採掘を続けている唯一の存在。砥取家の天然砥石は研磨力、研ぎ感、粒子の細かさ、姿などに優れ、極上品と評判が高い。現在はさまざまなイベントにも出店し、天然砥石の魅力を広める活動にも積極的。インターネットでの直接販売を行い、国内だけでなく海外からも人気を集めている。

京都府亀岡市東本梅町大内上条20
0771-26-2545
https://www.toishi.jp

昔は砥石採掘が地場産業

砥取家(ととりや)は明治10年に創業し、140年以上天然砥石の採掘を続けています。砥石の採掘は江戸時代からあり、当家は後発。私は26歳からこの道に入り、仕事は父の背中を見て覚えました。京都府亀岡市はかつて砥石の採掘が地場産業として栄えた地域です。勢いが良かったころは30数軒の砥石屋がありました。けれども、時代の流れで電動工具が発達し、普及したことでどんどん衰退。今は当家一軒だけが残っています。

京都の天然砥石の歴史は古くて、800年前にさかのぼります。梅ヶ畑の郷士である本間藤左衛門時成が菖蒲谷で砥石を発掘。後鳥羽上皇に献上したところ、ご嘉賞にあずかり、1190年に源頼朝から日本礪石師棟梁の免許を付与されたことがきっかけと伝わっています。江戸時代までは軍事用として珍重され、一般に採掘が許されるようになったのは明治に入ってから。明治中期から昭和初期までと、戦後から昭和40年までと2度、京都の天然砥石産業は最盛期を迎えました。

採掘の過酷な現場

今では採掘現場もほとんど閉山してしまいました。私が採掘している亀岡山系の丸尾山は、天然砥石が採掘できる数少ない現役の砥石山です。丸尾山の原石は板並が良く厚みがあり、粒子が細かく均一性も高いのが特長。なめらかな研ぎを堪能できます。

現在も昔ながらの方法で採掘しているのは私だけになりました。掘り出すときは「矢」「玄能」「せっとう」といった工具を使います。険しい山に入っての作業は長時間に及び過酷で、かなりの体力も必要。最低でも50〜60kgの砥石を一度に運べないと仕事にはなりません。採掘した原石はその場で、商品価値のあるものとないものに選別します。長年の経験と感覚から、砥石層を見ただけでここは包丁用に向いているなとか、この場所は日本刀用だなとか、特徴がわかるようになりました。どの場所の石でも基本的には刃物に使えるんですが、硬さを見極め、よりそれぞれの刃物に適したものを厳選しています。


天然砥石は地球の神秘

天然砥石の種類には荒砥(あらと)、中砥(なかと)、仕上げ砥(しあげと)の3つがあります。粒子によって呼び名が異なり、それぞれに用途も違います。荒砥と中砥は日本全国で採掘されますが、天然仕上げ砥石は世界で唯一、京都でしか産出されません。鉱脈は京都市右京区から愛宕山を経て、亀岡市にかけて。特に亀岡市の西部は、中砥と仕上げ砥の両方が採掘され、良質な天然砥石が採れることから「天然砥石の聖地」と呼ばれています。私が掘っているのは仕上げ砥。ありがたいことに世界各地に愛用者がおり、世界一と高い評価をいただいています。

京都で産出される天然砥石の層は2億5000万年前にできたものです。ハワイの深海底に一千年に1㎜ずつ降り積もった火山灰や粘土などが、フィリピンプレートに乗って年に数cmずつ北上し、たまたま亀岡市で隆起したと言われています。天然砥石は自然のものなので、掘り出す場所によって個性があります。机の上に並べている砥石を見てください。真ん中に「梨地(なしぢ)」「内曇(うちぐもり)」などの印が押してあるでしょう。これは砥石の銘柄。色や紋様の違いによって30種類に分けています。長い歴史の中で巡り合った、当家にしかない希少な砥石もたくさんあります。

天然砥石と人造砥石の違い

砥石には天然砥石と人造砥石があります。一般に広く出回っているのは人造砥石。研磨剤にボンドを加えて固めて焼いたものです。
人造砥石と自然砥石の大きな違いは粒子です。人造砥石は粒子が尖っているため、どれだけ研いでも地金や鋼の傷が消えずに残ってしまいます。一方、天然砥石の粒子は丸まっており、研ぐと徐々に粒子が細かくなり均一で美しい研ぎ肌に仕上がります。

正倉院や国立美術館が所蔵している日本刀は人造砥石で研いでは絶対にダメ。天然砥石がないと維持できません。人造砥石は早くは研げますが、研磨力がありすぎて返りができやすく、刃物を鋭利に仕上げにくいという弱点があります。一方、天然砥石は研磨力がほどよく、研ぎにやや時間を要する反面、返りが出にくく、刃先を鋭利に仕上げやすいのが特長。鋼材のやわらかい部分から優先的に研ぎ下すので、硬い部分が表面上にそろい、刃の持ちも良くなります。細かく均一な研ぎ肌になるのも天然砥石ならでは。光り方など見た目にも違いが出やすいといえます。また、一本ごとに研ぎ感から光り方まで違ってくるのが天然砥石特有の魅力。刃物によってどの砥石が合うかを探すのも一興です。


研ぐほどに心地よい

人造砥石と天然砥石では研ぎ感も違います。人造砥石は30分も研いでいたら飽きてくるのですが、天然砥石にはなんとも言えない研ぎ感があり心地良い。少々大げさにいうと、一晩中でも研いでいられるほどです。料理人は次の日の仕事のために、仕事終わりに包丁を研ぎます。人造砥石だとその作業がおっくうに感じますが、品質の良い包丁を天然砥石で研いでいるとだんだん楽しくなり、趣味の時間に変わるという人が大勢います。中にはサラリーマンで、毎日会社から帰って刃物を研ぐのを楽しみにしている人もいます。不思議と心が落ち着いて、ストレスが解消されるんですよ。もう一つおもしろいのが、その日の体調によって仕上がりが違ってくること。毎日同じように包丁を研いでいる料理人でも、体調が良ければ仕上がりが良く、イライラしていたりすると何時間がんばって研いでも納得できる仕上がりになりません。研ぎ手、砥石、刃物の関係は非常に繊細なものなんです。

料理の味にもうれしい変化

天然砥石と人造砥石では切れ味が格段に違ってくるうえに、料理の味まで変わります。たとえば、スーパーで買ってきた冊のマグロ。天然砥石で研いだ包丁で切ると、驚くことに味がぐんと良くなります。さらに、包丁の素材と天然砥石の相性を合わせると、素人でも料亭の味に近づけることができるんです。信じられないかもしれませんが、本当のことです。切れない包丁で切ると素材を潰し、せっかくの味を殺してしまうんです。良い腕を持っている一流の料理人が何十万円もする高級な包丁を使っていても、人造砥石でメンテナンスしていては包丁の良さを生かせず、料理の味も落ちてしてしまいます。研ぎ方のコツをマスターして当家の天然砥石で研ぐと、味は上向きます。さらに、高級な天然砥石あればあるほど味にうれしい変化が生まれます。しかし残念ながら、その事実を知る人は少なく、人造砥石を使っている人が多いのが現状です。

昔の包丁は素材が鉄だったので、しょっちゅう錆びていました。メンテナンスが大変だと今の料理人は使いたがらず、ステンレス製の扱いやすいほうに需要があります。でも実は、鋼製の包丁のほうが料理はおいしく仕上がります。ステンレス製の包丁を天然砥石で研いでも味が良くなりますが、鋼製の包丁を天然砥石で研ぎ、調理した味に勝るものはありません。


世界中で愛される砥石

宮大工、日本刀の研師、料理人など、世界各国で刃物を使うさまざまな職業の人が当家の砥石を使ってくれています。天然砥石はコレクターもいるんですよ。毎月買ってくれるお得意さんもいて、1人で数百個所有していたり、切り出したままの原石を集めていたり。ここ数年は外国人のお客さんも増えました。台湾、香港、シンガポール、フランスなど、いろいろな国の人が訪れます。プロだけでなく一般の外国人男性にも天然砥石は重宝されていますよ。彼らのひげは太くて硬いので電気カミソリでは太刀打ちできないらしく、剃刃で剃っている人が多くいます。私の砥石を使ったら切れ味が良すぎて、それまで自分が使っていた砥石の出番がなくなるらしいです。当家では採掘や販売だけでなく、基本的な研ぎ方をレクチャーしています。2〜3年も使っているとずいぶんと砥石の形が削れてしまうので、要望があればメンテナンスも行っています。

プロの愛用者は、ここ一番の作業のときは天然砥石じゃないと仕事にならないと言います。たとえば彫刻刀を使って繊細な彫りで表現しなければいけないときは、手元の細かい仕事についていけるように刃先を調整しなければいけません。思うところで狂いなく刃先をとめるには、やはり鋭い切れ味を求めます。それには天然砥石が欠かせません。

日本製の刃物の質は世界に誇れるもの。その品質を昔から支えていたのは上質な天然砥石です。当家は品揃え、質、量のすべてにおいて世界一だと自負しています。天然砥石は大きいと価値が上がります。大鉋用など別注品は100万円を超え、小さなものでも決して安価とは言えません。けれども、刃物を扱うプロならどんな人も当家の砥石を見ると唸り、他にはない品だと購入してくれます。鉱脈に恵まれ、今日まで絶えることなく天然砥石を発掘してこられたことは幸運。自然に心から感謝しています。

天然砥石の魅力を発信

先ほども述べましたが、刃物を扱うプロの職人でも天然砥石の奥深さを知らない人がほとんど。大阪でも天然砥石を使っている料理人は100人中1人くらいだと思います。一人でも多くの人にその魅力を知ってもらいたいという思いから、近ごろはできるだけイベントなどにも積極的に参加するようにしています。

2017年には国の支援を受けて亀岡市に天然砥石館を設立しました。日本刀などの伝統文化を支えてきた天然砥石と日本に受け継がれてきた研ぎ文化のすばらしさを発信していくことを目的としています。館内には地元で産出された天然仕上げ砥石や私が所有している珍しい砥石、そのほかフランス、スペイン、ポルトガル、イギリス、ベルギーなど世界の砥石を数多く展示しています。いろんな砥石を見比べてもらうと、いかに亀岡の天然砥石が優れているかを理解していただけるはず。子どもも気軽にできる研ぎ体験も実施しているので、ぜひ多くの方に足を運んでいただければうれしいですね。

森のステーションかめおか 匠ビレッジ 天然砥石館
京都府亀岡市宮前町神前長野15
050-3700-1014 10:00〜16:00 定休日 月〜水曜

(2019年03月取材・文 岸本恭児)