お魚かたりべ 山嵜清張さん
2012年に発足した水産庁の「魚の国のしあわせ」プロジェクト。その一環として、魚食文化の普及と伝承に尽力する人たちを「お魚かたりべ」として任命し、取り組みをバックアップする動きが始まっています。山嵜清張さんは今年、かたりべとして任命された1人です。
お魚かたりべ
山嵜 清張(やまさき きよはり)さん
兵庫県明石市生まれ。20歳から明石浦漁協協同組合職員を22年間勤め、その後兵庫県漁業協同組合連合会職員として5年間勤務。漁業関係者としてさまざまなPR活動に力を注ぐ。セリ見学や魚のさばき方を教える体験教室、漁業や環境、食についての講話、魚メニューの提供・販売など、直接消費者と接することに重点を置いた取り組みも多数。また出版物や新聞連載の執筆、「明石・タコ検定」のテキスト・問題作成(1800問)にも深く関わる。退職後も全国各地で技術指導や講演活動を続け、2014年に水産庁から「お魚かたりべ」として任命。現在は地元明石の魚を食べられる店「明石の魚 嵜~SAKI~」も営んでいる。
水揚げ産地近隣に見る魚離れ
明石で水揚げされた天然鯛。
鮮やかな模様からも鮮度の良さが伝わる
近郊の台所として栄え、観光名所としても有名な明石・魚の棚。軒を連ねる商店には魚介や乾物が並び、威勢の良い声に心が躍ります。「それでも、昔と比べると景色は少しずつ変わってきました。数十年前はどの魚屋でも店頭で旬の魚がピチピチ跳ねてね、それが魚の棚らしくてよかったんです。けれど今は丸ごと1匹魚が並んでいたら、奥さんたちは『どないしよ…』って顔。まず誰も買わないんですよ。だから、切り身の魚が置いてあったり、タコは茹でてあったり。昔の魚の棚のイメージからは少し外れちゃいますよね」。
山嵜清張さんは明石生まれの明石育ち。幼いころは遊び場、大人になってからは仕事場としてずっと魚の棚を見続けてきました。日本人の食生活が欧米化したことで、急速に進む魚離れ。それは浜の街の日常にも深い影を落としています。「魚だけじゃない、和食自体がもう面倒なものという認識。ダシを取って調理するなら、パスタだけでいいやっていう核家族が増えているんでしょうね」。
「明石の魚のみ」の専門料理店
山嵜さんの店「明石の魚 嵜~SAKI~」
地元の活魚をシンプルに味わえると人気
そんな魚の棚の近くに2年前、山嵜さんは自分の店をオープンさせました。明石の魚だけにこだわって提供する魚料理店です。営業は夜からですが、仕込みは朝の8時から。野菜などの下ごしらえを済ませると昼セリへ行き、買った魚のウロコを1匹ずつ丁寧に取って、余すところなく調理します。水揚げされる魚は毎日違うため、メニューは日替わり。前日と同じ魚でも、その日のセリ値によって値段も書き換えます。
店のスタイルについて、山嵜さんには揺るぎないポリシーがあります。「お客さんに出す料理は、自分が顔を見た魚のみと決めています。どこかでさばかれてうちの店にやってくるものを出す気はありません」ときっぱり。お客さんにウソはつきたくないと、明石で水揚げされていないもの、旬に沿わない魚は、どんなに要望があってもメニューに加えません。台風などで漁がない日は店を休むこともあるそう。そんな素材の魅力を最大限に引き出した料理は評判を呼び、全国にファンを拡大中。予約で満席になる日も少なくありません。
店を持ったのは使命感から
実は山嵜さん、店を持つなんて夢にも思っていなかったそう。「まあ正直、仕方なくという感じもあります。料理人になる前、明石浦漁協に勤めていたときは、業務部・総務部の部長をしていたこともあって、マスコミの取材をよく受けていました。そこでたびたび聞かれるんですよ。『どこに行けば明石のおいしい魚が食べられますか』って。でも地元に自分が胸を張っておすすめできる明石の魚だけの店がなくて」。
明石の魚は値段が高く、地元の飲食店でさえなかなか手が届かないのが実情。そのうえ天然ものは毎日決まった数を仕入れられるとは限らず、処理や調理も大変なため、どの店も敬遠するようになっていました。しかし、漁師町で地元のおいしい魚介が食べられないのはさみしいこと。漁業に携わる者として山嵜さんは、どうにか明石の味を伝えていかなければと使命感を感じていました。「僕は仕事柄、多ジャンルのシェフたちと交流があり、さまざまな調理方法を伝え聞いていました。自分なりに実践も重ねているうちに、いつの間にか店を営むのに困らないほどの知識を備えていたんです。魚をさばいて料理をすることは、趣味でもあったので楽しい。じゃあ自分で店をしようと、あるときふと思い立ったわけです」。
世間では魚離れが進んでいると思い込んでいた山嵜さんは、店の予想外の繁盛ぶりに驚きを隠せません。「本当においしい魚や明石の魚介を求めてくれていた人がこんなにもたくさんいたんやなあと。意外でしたしびっくりしました。今はその期待に応えなければというプレッシャーはありますが、素直にうれしい」と頬を緩めます。
料理教室で伝えたいのは
料理教室で魚のさばき方を教える山嵜さん。
明石の浜で代々続く漁師家庭の長男として生まれた山嵜さん。学生時代から父親や親戚の船に乗り、厳しい漁の現場を経験してきました。卒業後は明石浦漁協職員となり、長年セリ場を担当。漁師さんたちが汗水を流して獲った魚を流通させることに尽力してきました。その後、兵庫県漁連が魚食普及に力を注ぐことになり転籍。子どもから高齢者までを対象とした料理教室の講師を務めることとなります。その内容は魚のさばき方だったり、タコの掴み方だったりとユニーク。また、決まったレシピもありません。
「普通の料理教室なら、用意されたレシピ通りが基本。塩が何グラムで酒は大さじ何杯入れてということをメインに教わるでしょう。でも僕の教室では、今日のこの魚やったらこうしましょうと、目の前にある魚の鮮度を見極め、調味料の加減をその場で決めていきます」。保存状態によって目まぐるしく鮮度が変化する魚。それに対して毎回同じ分量の調味料、同じ調理法で手を加えても、素材本来のおいしさは引き出せないというのが山嵜さんの持論です。風味を高めるのはしょうゆ、煮しめるにはみりん、身をやわらかくするのは酒。それぞれの役割を知ったうえで、調理時の魚の状態に合わせて調味料を足したり引いたりすること。これこそ落ちた鮮度をうまくカバーし、よりおいしく食べるためのテクニックだと言います。
さらに教室では、スーパーに並ぶ魚介の食べごろを見分けるコツもレクチャー。食品への信頼が揺らいでいる今、自分の口に入るものは自分の力で選ぶことの重要性も説いています。「料理教室で僕が一番伝えたいのは魚の扱い方。知識を持てば人に言いたくもなるでしょうし、そうやって伝承してくれる人が広がっていけばうれしいですね」。
漁師からも信頼されるノウハウ
プロの方々を前に講演する山嵜さん
兵庫県漁連を退職し、今は"フリー"となった山嵜さん。講師として地方に招かれる機会も増えてきました。秋田、新潟、福井、広島など日本全国、呼ばれれば店を休んでも駆けつけます。行政の水産課の人や漁師さんといったプロに向けて話すことも多く、テーマは「漁業者の収入アップにまつわること」。
漁師さんたちは魚を獲ることにかけては一流でも、獲った魚を高く売ることに関しては無頓着な人が多いそう。そこで講義では、獲った後の鮮度をより良く保ち、市場で今より高値で売る方法を具体的にレクチャー。「魚を水槽で保存する方法や、鮮度を保つ魚のしめ方など、実践も交えつつかなり踏み込んで教えています。たとえば、魚を置くときは必ず左頭で、氷は下に敷いてはダメとかね。鮮度を落とさないための一般的なセオリーも、知っている漁師さんが少ないのが現状なんですよ」。
神経抜きの様子。針を突き刺して行うため、
魚の見た目が大きく崩れることはない
数ある技のなかでも、山嵜さんが熱心に伝えているのが神経抜き。魚をしめて血抜きをしてから脊椎の中に通っている神経を破壊するという特殊なテクニックです。魚は死ぬと死後硬直が始まりどんどん劣化していきますが、この方法だと死んだ情報が体内の細胞に伝わらず、死後硬直が始まる時間を遅らせることができるんだとか。「ということは、港から遠方へ魚を送る際、送った先でも比較的良い状態で食べられるということ。また、死後硬直するまでの間は身のタンパクが分解されて甘みと旨みが出てくるので、おいしさも増すんです」。山嵜さんが披露してくれる話には、なるほどとうなずける情報が盛りだくさん。漁業関係者から信頼が高いというのも納得です。
実験で身につけた知識
山嵜さんが料理教室や講演などで披露している技は、誰かに教わったわけではなく、ほぼ独学で身につけたものばかり。シェフや漁業関係者など人伝てに聞いた方法を、明石で水揚げされる年間約130種類の魚を材料に"実験"しては、情報の整合性を確かめました。凝り性な性格も手伝って、いつしか実験は山嵜さんの趣味に。
「テーマは毎年1つに絞っています。たとえば、今年は全種類を刺身で食べてみようとか。すべてを干物にした年もありました」。すると、今まで知り得なかった魚の生態をより深く掘り下げられ、おいしく食べる最善の方法を模索できると言います。数々の実験を繰り返すなかで、目からウロコの技法に出合うことも。その一つが紙塩。魚の鮮度を長期間保つ究極の裏技です。「活じめにして血抜きした魚を3枚におろし、和紙を当てた上からぱらっと塩を振るんです。すると、普通は2日ほどたったら食べられなくなる青魚の刺身も、塩の殺菌効果で保存能力が格段にアップ。僕はアジで試し、1週間毎日食べ比べてみましたが、何の遜色もなくすべて生で食べられたんですよ」。
今では専門性の高いこんな技法も、昔は家庭の台所で普通に行っていたんだそう。このように、衰退していった魚食文化を復興させることは、山嵜さんが掲げる最も大きな命題です。
魚食文化の現状とは
活きの良いタコをつかみ取りする
体験教室は明石ならでは
日々熱心に魚食普及活動をしている山嵜さんには、ジレンマも付きまといます。「マグロとカツオ、アジとサバはそれぞれ一緒に見えるけど何が違うの?と、僕の話を聴いている人の頭の上にハテナが浮かんでいるのが見えるんですよ」。
スクリーンで映像を流し、ようやく理解してもらうことは日常茶飯事。特に子どもたちの魚に対する知識不足は深刻です。「『魚の種類をいくつ言えますか?』と聞いて、10個言えたらすごいほう。でも10個のなかに、いくらやトロ、サーモンとかが普通に出てくるんですよ。結局、寿司屋のメニューが魚の名前だと思い込んでいる子が多いんですよね」。小学生対象の料理教室では、血や内臓を見て途中で気分が悪くなり倒れる子もいると、山嵜さんは頭を抱えます。 その一方で、子どもたちに魚食を教える立場にある親世代、特にお母さんたちの料理離れも危惧するところ。「魚はスーパーに並んでいる切り身を買うのが当然で、さばいた経験のない人が本当に多い。親子教室でもタコに触れないお母さんが年々増えている気がします」。
魚は身近な存在でありながら、学校などできちんと学ぶ機会がありません。魚名が間違って伝わっていることも多く、スーパーの鮮魚売り場に行くたび、パッケージの魚名を見て愕然とするという山嵜さん。「ここで間違えられると……。正すきっかけもないし、消費者にきちんと伝わらないのは当然ですよね」。こうした現状も魚食文化の衰退に拍車をかけているのかも知れません。
「お魚かたりべ」としてのこれから
外国人に体験教室を行うことも。
この日はハーバード大学の学生たちが参加
これまでの実績を高く評価され、山嵜さんは今年、水産庁から「お魚かたりべ」として任命されました。単なる料理人では活動しづらかったことも、肩書をもらったことでもっと精力的に動けるようになると意気込みます。山嵜さんに、お魚かたりべとしてのこれからを聞いてみました。すると、自分が先頭に立って魚食文化を普及させていくと同時に、自分と同じような活動ができる人を育てることが急務だという答えが返ってきました。
「昔なら、調理法がわからない魚でも『これはどうやって食べたらいいの?』『これはこうやって処理してね……』と魚屋さんとお客さんの間にやりとりがあって、自然と学ぶ機会が生まれていました。これが魚食文化伝承の原点やと思うんです。でも今、スーパーではそんなやりとりを耳にすることはないし、たとえ店員さんに尋ねたところで答えが返ってくるとも思えません。講演などで年配の人を前にすると、僕はいつも『若い人たちに伝えることをさぼらんとってね』とお願いしています。おいしい魚を食べて長生きしているおじいちゃんやおばあちゃんにこそ、魚食文化の良き伝承者になってもらわないと。その関係性が崩れたから、日本の食文化が乱れてしまったと思うんです。これからの日本を守るためにも、伝えることを休んでもらっては困るんですよ」。
魚に関するみんなの知識を底上げし、水産業界に活気を取り戻したいと強く願う山嵜さん。「僕は漁や魚文化、魚食文化を継承していける防人(さきもり)でありたいと思っています」。そう語る瞳が、海の水面のようにキラリと輝いていました。