日本茶鑑定士 田村千夏さん
日本茶鑑定士とは、いわば日本茶のプロ中のプロ。高い能力と知識にさらなる磨きをかけたものにだけ与えられる資格です。日本茶鑑定士協会が2007年に創設して以降、国内に39人しか誕生しておらず、うち女性は2人だけ。田村千夏さんはその1人として、関西を基盤に日本茶の魅力を発信しています。
日本茶鑑定士 田村千夏さん
日本に2人しかいない女性日本茶鑑定士の1人。兵庫県尼崎市にある老舗茶屋「甘露園」に生まれ、短大卒業後は家業を手伝う。お茶のおいしさを広く知ってもらいたいという思いから、日本茶インストラクターの資格を取得。その後、茶審査技術競技大会の全国大会へ毎年出場を果たし、茶審査技術六段を取得する。さらに、高段位取得者の中から選出され研修等を経て取得できる日本茶鑑定士に認定。現在は尼崎市内にある「茶カフェ&ダイニング 桜里」のオーナーを務め、女性初の全国茶業連合青年団団長としても活躍中。次世代の茶業を担うリーダー的存在として注目されている。
日々お茶の可能性を探求
【駅から近く、アクセス抜群の「「茶カフェ&ダイニング 桜里」。お茶のおいしさをストレートに伝える1軒です(画像上)。
店の人気ドリンク「抹茶ビール」は田村さんが考案。肉料理にも合うさっぱりとした口当たりです(画像下)。
阪神電鉄尼崎駅を降りてすぐ目の前にある「茶カフェ&ダイニング 桜里」。日本茶鑑定士の田村千夏さんが、本格的なお茶をカジュアルに楽しんでもらいたいとオープンさせました。茶葉のうま味を極限まで引き出したドリンクやお茶を使ったスイーツはもちろん、夜は食事に合うアルコールメニューも豊富。抹茶やほうじ茶、緑茶をベースにしたカクテルはほかでは味わえないと、地元のサラリーマンたちにも人気です。
田村さんが太鼓判を押す自慢のメニューは「抹茶ビール」。冷水だての抹茶と生ビールを合わせた斬新な1杯です。グラスに並々と注がれたグリーンは、はっとするほど鮮やか。味への好奇心をくすぐります。「実は抹茶ビールには100g5500円の高級抹茶を使っているんですよ」と耳打ちする田村さん。口に運ぶと香り高い抹茶の風味が鼻腔から抜け、穏やかな苦味の後に追いかけてくるのは深いうま味。ビールが苦手な人もすっと喉を通る爽やかさが売りです。
最近ではお客さんからの要望で「抹茶ハイボール」も加わり、新感覚のテイストがさらに充実。自身はお酒が苦手ながら、お茶の新たな可能性を見出そうとする田村さんの探究心は尽きることがありません。
技を極めた独特な抽出方法
田村さんは体調が優れず味覚や嗅覚が鈍っているときも、お茶を的確に見極めるチャンネルはブレないのだそう(画像上)。
「一口目でお客さんを驚かせてこそプロ」と言う田村さん。独自の手法で茶葉の持つおいしさを最大限に引き出します(画像下)。
「まずは私が淹れたお茶を飲んでみてください。普段飲んでいるお茶との違いが一目瞭然だと思いますよ」。そう言って急須を手にした田村さん。手首を頻繁に返す独特な手法で湯飲みに注ぎ入れます。この動作の意味とは?「早く抽出しようと急須を揺する人が多いですが、それだと色と渋味が出るだけ。何度も手首を返すことでゆっくりと茶葉を開かせ、コクとうま味を引き出しています」。湯飲みの中に満ちていく清らかな緑色は実にまろやか。一口、また一口と飲み進めるほどに体に染み渡り、心を和ませてくれます。
次いで飲ませてもらったのは氷水で抽出する緑茶。その手法も独特です。用いるのは先の茶葉と同様のもの。お湯出しのときの2倍の量の茶葉を急須に入れ、たっぷりの氷と水を加えます。静かに茶葉を開かせ、ガラスのグラスへ注ぎ切ると、せっかく抽出したお茶を再び急須の中に戻し始めました。「このテクニックは日本茶のプロとしてはあるまじき行為なんですけどね」と笑う田村さん。もう一度茶葉に通すことで、2煎目を飲んだときのような濃さと深みのあるコクを1煎目から引き出すことができるそう。日本茶を知り尽くした田村さんが、飲んだときの第一印象を高めたいと試行錯誤を重ね、たどり着いた裏技です。グラスに顔を近づけると、ふわりと広がる華やかなアロマ。鮮緑の水色に渋味と苦みはなく、まったりと力強いうま味が余韻を残します。
水出しのお茶はカフェインフリーで体に優しいのが利点。たっぷりとカテキンが引き出されているので、栄養価でもお湯で抽出したお茶に劣りません。
鮮烈な印象を残す1杯を導き出す
田村さんが淹れる水出しのお茶は、味も香りも驚くほど濃密。脳裏に鮮烈な印象を残すスペシャルな1杯です(画像上)。
フィルターインボトルを使い、お湯と氷で抽出した冷たいほうじ茶。烏龍茶に負けない高い香りと香ばしい味わいを備えています(画像下)。
「同じ茶葉を使っても、抽出方法によって色や風味にくっきりと違いが出るのが日本茶のおもしろいところ。やさしく抽出すると、味も香りもまろやかになります。一般的に氷水で出すお茶は頼りないと思われがちですが、決してそんなことはありません。私の手法だと口の中でのインパクトは大きいでしょう。香りは本来熱湯で注いでこそ引き出されるものですが、冷水でも香りが立つということは、よほど濃く満ち溢れている証拠です」。
陶器の急須に水滴の汗をかかせ、ガラスのグラスでサーブするのも涼やかにみせるための演出。見た目も日本茶をおいしく飲むための大事な要素だというのが田村さんの持論です。
「私の中でお茶の淹れ方に決まりはありません。堅苦しいと面倒になるのは当たり前。出汁の取り方でも料理人によって違いがあるように、お茶にもいろいろな概念があっていいと思います。シンプルに『飲みたい』『おいしい』と思ってもらうことが一番です」。
マニアな世界を伝える通訳者に
急須を使ってお茶を飲む文化をもう一度日本に定着させることが田村さんの目指すところです。
日本茶のニッチな世界をとことん突き詰めていく日本茶鑑定士。日本茶鑑定士になるためには、まず年に一度、茶業者間で開催される全国茶審査技術競技大会に出場しなければなりません。お茶のオリンピックとも呼ばれるこの大会には、全国からお茶のスペシャリストたちが集結。嗅覚や味覚といった五感を研ぎ澄ませ順位を争います。激戦を勝ち抜き、優秀な成績をおさめた者の中から鑑定士の候補生を選出。2年以上の研修と論文を経て、ようやく有資格者として認定されます(現在、資格の募集はなし)。
日本茶鑑定士は非凡な才能を持ち、マニアックな領域に達している人が多いと言う田村さん。茶葉をひと目見ただけで、産地はもちろん育ってきた畑の環境や害虫のつき方までわかるほどだとか。「私も資格は得ましたが、匠たちの足元にも及ばず、落ちこぼれと言っていいほど。最初は日本茶鑑定士と名乗るのが恥ずかしくて、大っぴらにはしていませんでした。
けれども、自分が納得できる良いお茶を提供したいと、仕事に情熱を注いでいる茶業者を知るうちに、私の中で考え方に変化が生まれて。マニアな世界のすごさやすばらしさを一般の人に知ってもらうためには、わかりやすく伝える通訳者が必要だと思うようになりました。じゃあ私がその役を買って出ようと活動を始め、ようやく日本茶鑑定士と胸を張って言えるようになったんですよ」。
お茶屋の娘に生まれた使命
茶道裏千家専任講師のお免状も持つ田村さん。鮮やかな手さばきで点てる抹茶はきめ細やか(画像上)。
冷たい抹茶は同じ点て方でも泡立たないのが特徴。飲んだときの印象も温かい抹茶とは異なり、甘みが際立ちます(画像下)。
田村さんの実家は創業70年を迎えた尼崎の老舗茶屋「甘露園」。次女として生まれ、幼いころから両親が懸命に働く背中を見つめてきました。「小さいながらに店の大事さを理解していたのか、小学生のときから将来はお茶屋になると心に決めていました。家業への思いは大人になっても揺らぐことはなかったです」。
物心がついたときから、家での飲み物といえば真夏でも急須から注がれる日本茶。「友達の家で麦茶という冷たい夏の飲み物があることを知ったときは衝撃的でした(笑)。私の中に備わっているお茶に対する感の鋭さは環境が作ったもの。今の自分があるのは100パーセントお茶屋に生まれたからだと思っています」。
家業を手伝うようになり、本格的にお茶の世界に足を踏み入れてからは、持ち前のバイタリティーを発揮。男性社会の業界を臆することなくピンヒールで闊歩し、日本茶のソムリエと言われる日本茶インストラクターや日本茶鑑定士の資格も取得して実力をつけると、一目置かれる存在に。現在は自身の店を切り盛りしながら、女性初の全国茶業連合青年団の団長として多忙な毎日を送っています。
お茶はお金を払って飲むもの?
田村さんが日本茶鑑定士になった10年ほど前は業界全体が冬の時代を迎えていました。農家や問屋、小売店が抱えていたのは深刻な後継者問題。田村さんが家業を継ぐと周囲に告げたときは「業界の将来が厳しいとわかっているのに本気?」と驚かれたと言います。
「私と同世代の人はみんな華やかな仕事に憧れて、お茶屋のような地味な仕事は淘汰されていくころでした。スーパーでは100g300円の茶葉が売られていて、100g1000円の茶葉との味の差はなかなか理解してもらえません。飲食店に日本茶のメニューを置いてくださいと営業に行っても、お茶はお客さんからお金をいただくものではないと門前払い。これはごもっともで、お寿司屋さんでもお茶はサービスで出てくるもの。よほど特別なお茶でなければ売れないという現実を目の当たりにしました。それなら私がお茶でお金を生める業態の店を作ろうと思い立ち、形にしたのが今の『桜里』です」。
茶葉から飲む味を家庭でも
甘露園で取り扱うフィルターインボトルや商品パッケージにはお茶のイメージを覆す遊び心のあるデザインを採用(画像上)。
女性の心をくすぐるかわいいパッケージのお茶。気軽なギフトとして贈りやすく、味にも満足できる品です(画像下)。
茶業界を取り巻く環境は今なお厳しさが続いており、国内の茶の作付面積は年々減少傾向。リーフ茶の消費量も低迷しています。その一方でペットボトルの緑茶飲料に対する需要は拡大。街中ではハイクオリティな日本茶が飲める専門カフェが増え人気を博していることから、日本人のお茶に対する価値観が変化してきていることがわかります。
「お茶は健康に良い」「美容にも効く」など、巷ではさまざまなことが言われますが、時を経ても変わらないお茶の役割は、人々にとってのコミュニケーションツールであることだと言う田村さん。これからはペットボトルのお茶に慣れ親しんでいる若い世代に、急須文化を広げていきたいと語ります。味とパッケージこだわったティーバッグを発売したり、おしゃれなフィルター付きのボトルでお茶の気軽な味わい方を提案したり。女性ならではの視点で新たな情報を発信し、急須文化につながる動線を切り開こうとしています。
「多くの人がペットボトルのお茶は手軽だと言いますが、本当にそうでしょうか。もちろんシーンによっては便利なときもありますが、スーパーで買って家に持ち帰るのは重たいし、たまった空のペットボトルをゴミとして捨てるのも大変じゃなかと思うんです。その点、茶葉は軽いしかさばらない。手間がかかるといっても飲むときにお湯を注ぐだけです。コーヒーチェーン店の味が浸透して、家でもコーヒーを豆から挽いて淹れる人が増えたように、お茶も急須を使って淹れてほしいというのが私の願いです。まずはお気に入りの急須を見つけるところから始めてもらえれば楽しみも増えるはず。茶葉から飲むお茶のおいしさを知ってもらい、閉ざしている日本文化をこじ開けていきたいと思います」。
誰でも挑戦できる日本茶の資格
日本茶鑑定士以外に日本茶のスペシャリストを育成する資格はあります。NPO法人日本茶インストラクター協会(日本茶の歴史や文化の普及に取り組む団体)が認定する中から、一般の人もトライできる3つをリストアップしてみました。興味があればチャレンジしてみては。
1)日本茶検定
お茶のおいしい淹れ方や健康効果など、日本茶にまつわる一般的な基礎知識が学べる検定です。1級から3級まであり、年齢を問わず誰でも受験することができます。検定の実施は年3回。インターネット環境があればパソコンやタブレットを使ってどこからでも検定が受けられます。
2)日本茶アドバイザー
協会が定めるカリキュラムをクリアし、認定試験に合格すると取得できる初級資格。歴史や栽培方法、品質審査の基準など、日本茶検定より一歩踏み込んだ知識を学ぶことができます。日本茶教室のアシスタント、カフェや日本茶販売店で働きたい人など、日本茶にまつわる仕事をしたい人は取得することで活動の幅を広げることができます。
3)日本茶インストラクター
日本茶に関する専門知識や技術を備え、日本茶のプロとして活躍できる人材を育成することを目的とした中級資格。有資格者はカルチャースクールの講師を務めたり日本茶アドバイザーを指導するなど、教育活動を行うこともできます。試験は筆記試験と実技試験があり、受検資格が得られるのは20歳以上。