えべっさん 笑みを湛えた福の神 えびす顔には より福来る(後編)

兵庫県南東部、銘酒の産地として名高い灘五郷の一つを有する西宮市の中央に「西宮神社(にしのみやじんじゃ)」は鎮座しています。福の神として全国に広く崇敬されている「えびす大神(蛭児大神)」をお祀りする西宮神社は、全国に約3500社あるえびす神社の総本社。関西では「えべっさん」「えべっさま」と呼ばれ親しまれています。

後編は、西宮神社の宮司 吉井良昭様に境内をご案内頂きながら、西宮神社ならではのお祭りと境内の末社について伺いました。<前編はこちら>

御輿屋祭 (西宮神社提供)

西宮神社ならではのお祭り

西宮神社では、神様にお食事を捧げる毎朝夕のお祭りも含めて、年間800回を超えるお祭りを行なっています。

この内、西宮ならではのお祭りとしては、6月14日に「御輿屋祭(おこしやまつり)」があります。これは、表大門から東へ200メートルほど行ったところに御輿屋跡地という石碑の立っている場所があるのですが、その昔、えびす様が神戸の和田岬の海から漁師さんに連れられてこちら(西宮)へ来られる途中に、その場所で疲れて寝てしまわれたのです。えびす様がなかなか起きないことに困った漁師さんは、失礼とは思いながらえびす様の尻をひねって起こし、やっとこちらまでお連れしたというお話が伝えられています。

御輿屋跡地 (西宮神社提供)

そこで年に一度、6月14日にえびす様を御神輿にお移しし、その縁の深い御輿屋跡地までお連れするというお祭りをしています。 また、昔からそのお祭りの時から浴衣を着るという慣わしがあったので「ゆかた祭り」とも言われ、旬のビワ(枇杷)をお供えするので「びわ祭り」、お尻を捻ったことから「尻ひねり祭り」と、いろんな別名を持っています。それだけ親しまれているお祭りということですね。

渡御祭の様子 (西宮神社提供)

秋のお祭り

9月22日には、「例祭(れいさい)」という一番由緒のあるお祭りが行われます。21日の宵宮祭(よいみやまつり)と23日の渡御祭(とぎょさい)と併せて、「西宮まつり」として祭典を行なっています。渡御祭では、当社の御鎮座伝説に由来して、えびす様をお生まれになった海までお連れします。これを「産宮参り」といいます。戦国時代に神社の領地を失ったために、それ以降ずっと行われなかったのですが、昭和29年、みこし行列が市内を巡行する渡御祭(陸渡御)として再興されました。

そして、平成12年には西宮港内での海上渡御祭を、平成21年にはついに神戸の和田岬までえびす様をお連れする、古儀に則った形でのお祭りを行なうことが出来ました。これは、実に400年ぶりに行われた本来の渡御祭ということになります。

それから、11月20日には「誓文祭(せいもんまつり)」が行われます。ご商売をされている方が、1年の感謝を込めてお客様に還元をさせて頂く、これを誓文払い(せいもんばらい)といいます。同時に、床の間にお祀りしているえびす様に、鯛をお供えして「正直」を誓います。神社でもその日は1年間の感謝を込めてお祭りをするということですね。 この3つが西宮神社ならではのお祭りではないでしょうか。

西宮神社の十日えびすの様子

えびす様の信仰は、全国的に見ると西と東では随分違い、特に関西は1月の十日えびすが盛大に行われますが、関東の方では11月20日に「えびす講」という大きなお祭りが行われます。東のえびす様は、神社でお祀りされているというよりも各家でお祀りすることが多いようです。えびす様はお正月を過ぎた10日に家から旅立たれ、全国を回って福をかき集め、11月20日にまた戻って来られます。

慣わしとして、1月10日は粗末なものをお供えし、「えびす様、うちは貧乏ですからいっぱい福を持って帰って来てください。」とお願いします。そして11月20日、福を持ち帰られるえびす様に感謝の気持ちを込めて、今度は立派なものをお供えしてお迎えするということで、大きなお祭りを行なうようです。


西宮神社の末社は、境内に11社、境外に1社あります。その他、境内には同じ西宮市にある廣田神社の境外摂社・南宮神社と、その末社・児社(このやしろ)があります。昔、西宮神社と廣田神社は一体だったのですが、明治以降に分離し、この二つのお社が廣田神社の管轄として今も残っています。

百太夫神社

百太夫神社(ひゃくだゆうじんじゃ)
御祭神:百太夫神(ひゃくだゆうのかみ)

西宮神社のえびす信仰が全国に広まったひとつの理由として、「えびすかき」の方の力が大きいと言えます。こちらではえびすかきの始祖である百太夫様をお祀りしています。えびすかきとは、安土桃山時代から江戸時代にかけて盛大に行われた人形劇で、小さな箱を首から提げて舞台にし、えびす様の人形を用いて「えびす舞」をしながらそのご神徳を全国に広めました。この芸能は明治の初期までは西宮に伝わっていたのですが、残念ながらそれ以降は途切れてしまいました。しかし、このえびすかきは、淡路島に渡り人形浄瑠璃として残ったのです。

その後、淡路島出身で後の植村文楽軒(うえむらぶんらくけん)という方が大阪にこの芸能を持って行き、世界無形文化遺産にもなっている「文楽」が生まれました。淡路島ではえびすかきの芸能が子ども達にも受け継がれており、淡路島から徳島へも渡りました。

現在では1月5日に、徳島の方と伝統を復活させようと活動されている西宮のえびす座の方がこちらで一緒にご奉納されます。 それと共に、お子様の守り神でもありますので、お宮参りに来られた時にはご祈祷の後にこちらにお参りいただいております。

六甲山神社

六甲山神社(ろっこうさんじんじゃ)
御祭神:菊理姫命(くくりひめのみこと)

六甲山(ろっこうさん。兵庫県南東部、神戸市の北部に位置する。)に、石の宝殿という石祠(せきし)があり、江戸時代までは西宮神社の神主が歩いて登り、お祭りを行なっていました。こちらは雨乞いの神様として有名で、その里宮として設けられています。

百太夫神社

大國主西神社(おおくにぬしにしじんじゃ)
御祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなびこなのみこと)

こちらも非常に古い神社で、平安時代の延喜式神名帳という古い書物にも登場します。「西宮」の西も、大国主西神社の西から来ているのではないかという説もあります。

その他の末社として、梅宮神社(酒解の神様)、火産霊神社(火伏せの神様)、神明神社(食物の神様)、松尾神社(お酒の神様)、市杵島神社(弁財天様)、宇賀魂神社(農業の神様)、沖恵美酒神社(えびす様の荒御魂を祀る)、庭津火神社(かまどの神様)、住吉神社(航海の神様)があり、それぞれにお祭りをしています。

えびすの森

境内に残る「えびすの森」は県指定の天然記念物になっております。私が小さい頃はよくこの森で遊んでいましたが、現在一般には立ち入り出来ません。昔は足を踏み入れると沈むくらい土が柔らかだったのですが、今ではもうずいぶんと乾いてしまっています。おそらく以前とは水の流れが変わってしまったのでしょうね。木の上の方を見ますと随分弱っているようなので、大学の先生にお願いをして長期的に森を維持して行けるように管理をして頂いたり、地域の子ども達にも手伝ってもらったりして、次の世代のクスノキを守ろうという活動もしています。

瑞寶橋

境内の中央にある神池は、三つの島があり蓬莱山水(ほうらいさんすい)の様式といわれています。池には橋が三つ掛かっており、拝殿正面に位置する瑞寶橋(ずいほうばし)と嘉永橋(かえいばし)は登録文化財になっています。昔、池の水は近くの川から引いていたのですが、溜め水になってからはずっと澱んでいました。ですから、作家の村上春樹さんの小説にもこのように出てきます。「えべっさまの水はどんより濁っていた。」と(笑)。 村上さんは小さい頃にこの辺りで育ち、西宮神社の境内でもよく遊んでおられたようです。

神池の様子

最近になって水を浄化させるシステムを入れましたが、雨が降るとやはり濁ってしまいます。ですが、大きなお祭りの時には露店でほとんど見えませんから、普段の日に四季折々の表情を見せる池を眺めて頂きたいですね。また、松尾芭蕉と上島鬼貫の句碑や岩倉具視私邸の六英堂、戦災や阪神淡路大震災にも耐えた、拝殿下左右の青銅製狛犬(天保12年(1841年)奉納)と馬の像(後藤貞行作、明治32年奉納)、そして彼の豊臣秀頼公が奉納された「御戎之鐘」(重要文化財)など多くの見所がありますので、ゆっくりご覧になって歴史や文化を感じていただけたらと思います。

えびす宮総本社 西宮神社 ウェブサイト http://nishinomiya-ebisu.com/

今回、宮司の吉井様にお話を伺って、西宮のえびす様にますます親しみを感じました。 お正月や十日えびすの際には、阪神西宮駅から西宮神社までの歩道と境内の参道脇に多くの露店が立ち並びます。その為、道がとても広々とした造りになっており、また、電線を地中に通している為に電柱もなく、すっきりとした街並みになっています。時代が変わり、舗装された道になっても道幅を昔のままにしてあるのは、えびす様のお祭りが西宮の人々にとってなくてはならないものだからなのだと感じました。昔から続くお祭りを通して先人の心を大切に受け継ぎ、えびす様のようにいつも笑顔でいられたら、えびす様はより福を授けてくださるかも知れません。

(2013年11月取材・文 島田優紀子)

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