社団法人スコーレ家庭教育振興協会 会長 永池榮吉 様

永池 榮吉 (ながいけ えいきち)

80年7月、21世紀における生涯学習社会の到来を予見し、スクールの語源(ギリシャ語)の<スコーレ>にちなんで『国際スコーレ協会』を設立。99年8月法人格を取得し、『社団法人スコーレ家庭教育振興協会』会長に就任。2005年、教育学博士。文部科学省主催「全国生涯学習フェスティバル(まなびピア)」に第1回から講師として参加するほか、2009年NHK「ラジオあさいちばん」、NHKテレビ「視点・論点」に出演、2012年産経新聞「金曜討論」にインタビュー掲載など多方面で活躍中。(公財)日本ユニセフ協会顧問・日本家庭教育学会顧問・国語問題協議会評議員ほか。著書に『こころの添木』『人生の難問を解決する魔法の言葉』『生き方の基本』『生きる強さを育てる家庭の底力』など多数。

家庭環境の重要性

私がこの協会を立ち上げたのは32年前で、その年に神奈川県で「金属バット殺人事件」が起こりました。当時の日本に大変な衝撃を与えた事件です。それ以前からも感じていたことですが、私はこのままではこの社会の根っこが腐っていくのではないかと、その時に改めて危機感を覚えました。「家庭」は、政治、経済、社会、文化、その国のあらゆるものの根底にあるものです。ですから、これを何とかしなくてはいけないと強く思い、私の考えに賛同して下さる方々の協力を得て、家庭における人間教育を考えるこの協会をはじめました。 今から3000年前の古代ギリシャでは、午後3時頃には仕事を終え、余暇の時間を知的なことを考えたり議論したりすることに費やしていました。有意義に知的に時間を使う。これを古代ギリシャではスコーレと言い、それがローマ時代にスコラになり、今のスクール(学校)となっていきました。我々としては、これからは生涯学習の時代になることを予見し、この協会名にスコーレを冠とすることにしたのです。

我々は、親と子の悩み、夫婦の問題などといった現実に立ち合っていかなくてはなりません。世の中には父親と母親の役割の垣根を無くそうという考え方もありますが、現実には父親、母親の役割は同じではありません。ですから、根本を知るため、人類学の分野から様々調べてみることにしました。すると、人類が動物から人間に進化するプロセスにおいて、動物の段階までは母親と子供だけでグループが構成されていたわけです。そこに男が加わり、食料を調達したり家族を守ったりというような役割を果たしながら共同生活が成り立ってきたようです。やがてそれが父親となり家族を生み出し、家族感情が元になって人間性が生まれたわけです。日本の歴史において、家族道徳というものは儒教を中心とした考え方がありますが、私はそういうものも超えた人間社会の成り立ちから家庭の仕組みを考えようとしたのです。

人、家族の仕組み

私は日頃から、人間は「呼吸、習慣、食事、知恵の力」によって生きている、と言っています。呼吸はあまり注目されていませんが、心を安定させるには深い呼吸を心掛けると安定してきます。腹を立てると呼吸が浅くなりますね。だから深呼吸しなさいとよく言いますが、我々の教育の中にも呼吸法に基づいたトレーニングを取り入れています。次に、習慣。人間は無数の習慣がその人の性格を作っていきますから、学んだことを実践して習慣化していくということ、これが我々の基本的な学習のスタイルになっています。また、食事については、例えば化学的な食品(添加物等)が多いことが問題になっていますね。確かに寿命は延びていますが、健康で長寿なのかと言えば必ずしもそうではない。特に「子供の食」が大きな問題です。我々はそういう健康面での食育と同時に、食が持つ家族の絆の問題に取り組んでいます。それから、知恵の元にあるのは、釈尊や孔子、イエス・キリスト、またはソクラテスなどが説いたこと。それを人類の英知と考えて、今の時代に即して編集し、生活の基本原則、人間として生きる基本原則を身に付ける。それは何も難しいことではなく、家庭の中で挨拶をするとか、マナーを守るといった簡単なことで良いのです。我々が常日頃から言っていることですが、実践的に足元から行なっていくこと、これがその知恵の元になるわけです。


親の役割とは

子供は、一生を生きるだけのエネルギーを生まれてから数年の間に与えられなければなりません。そのエネルギーというのは愛情です。具体的にいうと、皮膚と皮膚の接触、スキンシップですね。ところが、国というのはしばしばとんでもない間違いをするもので、昭和39年にそれまで母子手帳にあった母と子の習慣をいけないことだとして削除してしまったのです。それまでの日本の母親が伝統的に受け継いで来た子供への係わりというのは、添い寝、おんぶ、抱っこ、おっぱいでした。これを当時の厚生省は、アメリカではそういうことをしない、自立する子供に育てるにはそれはいけない、としたのです。だから、今どこを見ても子供をおんぶする母親はいませんね。しかし、アメリカでは確かにしないのかも知れませんが、あちらでは言葉として、「I love you.」と日頃から伝えます。キスをしたり、ハグをしたりしますね。だからアメリカにはアメリカのスタイルがあるわけなのです。一方、日本の場合は、そういう愛情表現はしない上に、古くから受け継がれてきたものが国の方針で廃れてしまった。ある人がそれに気付いて訂正を国に呼びかけ、10年かかって元に戻したのですが、もう遅かったのです。私は皮膚と皮膚の接触はすごく重要なことだと思っています。それともう一つは、「食」です。母親の手作りのごはんは、単なる食べ物ではなく、愛情を物質化したものだと思います。食事も誰かと食べることによって美味しくなったり、不味くなったりしますよね。今は両親が共働きである場合も多く、結局子供が一人で食事をする。家族一緒に食事をすることが、週に一度もないような家庭もあります。これがやはり今の日本における家庭の食事において大きな問題だろうと思います。

元来、食事の時間がしつけとか教育の時間でもあったと思います。私は北海道の田舎に生まれ育ちましたが、北海道はどちらかというと味付けが濃いのです。私も醤油をたっぷりかけたりするのですが、そうすると醤油が余ります。そのままにしておくと、父親に叱られました。余った醤油はお湯を足して飲みなさいと。子供の頃はどうしてこんなにやかましく言うのかと思っていましたが、我々の世代の父親というのは絶対的存在でしたから、そういった食べることを通じて食を大切にする心や、目上の人への敬いを昔は学んでいたと思います。

共感することによって子供を理解する

家庭で重要な「愛情」と「敬い」。愛情と尊敬心の2つが、家庭環境を作り上げる上で最も重要だと思います。それは、夫婦の関係の中から作られていくものではないでしょうか。子供はどうしても母親に密着しますから、子供に一生を生きるだけのエネルギーを与えるのが母親の役目となります。しかし、常に接近して暮らしていると慣れも出ますし、子供は段々生意気になっていきます。だから、それをチェックする存在が父親だと思うのです。私はよく、「家庭での権力は母親に、父親には権威を」と申します。権威といっても、それは威張ることとは違います。そして、母親は理想の父親を演出してあげることも大切です。今までの心理学から言いますと、権威のある父親のもとで育った子供は、正義感と強い信念を持ちやすくなるのです。人間は生きる上でルールを守らなければいけませんので、その意識を子供に持たせるという上でやはり父親が権威、つまり家庭の中で一目を置かれる存在であるべきだと思います。それを父親も自覚しなければなりません。
そこで大切になってくる要素は、共感することだと思います。共感の世界が出来て初めて愛が愛として子供の心に伝わるわけですね。だから共感が出来ない時に子供に注意をしても無駄なのです。夫婦の間でも人間として共感する世界を育てていくことが大事だと思います。その共感の心を育てていく重要な材料として、食が位置づけられるわけです。食を通じて共感の世界を育てていく。その辺りをもっと見直していくべきではないかと思います。

子供のほめ方

子供への共感なしにしつけをしようとする、子供の心が見えていない親御さんが増えています。特にエリート志向の親御さんほど大きく危険なミスをする傾向にあると思います。なぜ見えないかというと、自分の中での思い込みが優先し、こうあるべきだという目で見るからなんです。なぜその子がそうするかを素直に見ようとしないのです。我々が皆さんに申し上げていますのは、まず子供への接触による愛情、それから笑顔、そして肯定的な言葉。特に子供の長所をきちんと把握しましょうと。長所を見つけるには切り口が3つあります。それは、容姿・容貌、能力、性格。具体的に子供のチャームポイントは、どこなのか、能力はその子の特徴(得意なこと等)ですね。それから性格。常に子供の長所への評価を具体的にメッセージとして子供に伝える。自分が親から評価されているとわかれば、叱られても素直に聞けるものだと思います。だけど、それをしないで叱るから自信を失くしていくし、反発するんです。親の枠で見てはいけない。子供はどういう可能性を持っているかわからないのです。自分の子供であっても何十代もの先祖と繋がっていて、色んな人生が受け継がれているわけですから、勝手に親が決めてはいけません。ですから、青少年の犯罪を見るたびに惜しいなと思うのです。この子に良い出会いがあったら、絶対こんなことにはならないのにと。そのためにも、せめて親が子供の長所をきちっと把握して、伝えられるようになってもらいたいと思います。世の中に自分を認めてくれる人が一人いれば、そんなに簡単に人間は間違った方向へは行かないものだと思います。


将来への漠然とした不安感について

終戦の年、私は北海道に住んでおりましたから酷い空襲には遭いませんでしたが、サイレンが鳴ると防空壕へ飛び込むという生活でした。終戦後、もちろん食べ物は十分にはありませんでしたが、あれほど酷い状況の中から日本は立ち直ったわけです。東日本大震災の時にも、大勢のボランティアが参加して助け合うことが出来ましたね。しかし、広島や長崎に原爆が投下された時、日本中の誰もが自分のことで精一杯で広島や長崎の人々を助けることなどできませんでした。しかし、そんな広島も長崎も今のように立ち直ることができました。それも僅かの間で、と言えるでしょう。ですから、今みなさんが将来に対する不安感を抱いておられるのを聞くと、私は不思議で仕方がないのです。昔は年金すらありませんでしたしね。私は今の若者が羨ましいと思います。その気になれば世界を相手に仕事ができる時代じゃないですか。スポーツでもビジネスでも世界で活躍する日本人が大勢いて、その活躍に象徴されるのが今の若い人たちの未来、有り得ない夢ではなく現実になっていますよね。私の世代では、東京に出て成功して田舎に帰る。故郷に錦を飾ることが若い人の夢でした。ローカルですね(笑)。日本はGDPで中国に抜かれたと言っていますが、こんな小さな島国が世界第3位ですよ。もっと自信と希望を持って良いのではないでしょうか。

私たちがこれから学ぶべき食育とは

自分の体をどういう体質にするか、ということが大切だと思います。食べ物によって血液が作られ、血液の質によって体質は変わってきます。皆さんも最近よく耳にすると思いますが、日常生活の活性酸素を除去する、抗酸化の食生活を続けていくと、おのずと健康な体質になっていくと言われています。 抗酸化食の基本は、穀類、豆類、イモ類、肉、魚、野菜、果物、卵、乳製品に海藻類という計10種の食を日々バランスよく摂ることです。そういう食生活を行なうことで活性酸素は除去され、必然的に体質が改善されていきます。これは、「食医食」を提唱している日本食医食協会の神崎夢風(かんざきむふう)さんが30年の実績をもって示されています。そして、食材の質を重視すること、これらをできることからで良いので少しずつ実践していくことが大切だと思います。1日に10品目の質を考えながら摂ること、またそれを習慣化させることはなかなか容易なことではありません。しかし、そうして少しずつ食というものを見直し、体質を改善していくことが、病気の予防につながるのです。何事もやれることから始め、そして継続する。それが健康な体を保つ上で最も大切なことだと思います。