吉野葛本舗 黒川本家

太陽が照りつける夏本番。うだるような暑さに耐えかねて、体は自然と涼やかなものを求めます。そんなとき、つるりとしたのど越しの良い葛餅や葛きりは一服の清涼剤。その材料となる葛を昔ながらの製法でつくる黒川本家を訪ね、奈良県へ向かいました。

吉野葛本舗 黒川本家

奈良県生駒市高山町 0743-71-3808
http://yoshinokuzu.com
元和(げんな)元年 (1615年)に創業し、400年続く吉野本葛製造の老舗。創業以来ほぼ変わらぬ精製法でつくる本葛は高い品質を誇り、当代随一と評されるほど。高級料亭や和菓子職人の間では言わずと知れた銘品として愛されている。明治初期より宮内庁の御用を勤めることとなり、昭和天皇も好んで召し上がられた。また文豪・谷崎潤一郎が小説『吉野葛』を執筆する際に滞在し、葛にちなんだ歌を残したことでも知られる。葛の甘味や創作料理が堪能できる東大寺店は、奈良公園の中心地に位置する「夢風ひろば」内にあり、訪れる人々に新旧の味を発信している。

町屋でつくられる吉野本葛

黒川本家は格子戸、虫籠窓、大屋根に二列の丸瓦を備えた伝統様式を保つ町屋です。

一点の曇りもなく澄み渡った純白の吉野本葛。はっと息を飲むほど高貴な佇まいと、なかなか手に入りにくいという希少価値から "白いダイヤ"とも称されています。古くからその製造を行う「吉野葛本舗 黒川本家」。細やかなキメ、なめらかさ、透明感や粘りは無二と、名だたる高級料亭や老舗和菓子店で珍重されています。長く愛されてきた味の原点を求めて、奈良県宇陀市へと足を運びました。

黒川本家があるのは、戦国時代に城下町として栄え、のちに商家町へと変遷を遂げた宇陀松山。平成18年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、昔ながらの風情が残ります。ノスタルジックな雰囲気に包まれた街を歩くと、まるで時が止まったかのようにのんびり。軒を連ねる町屋は住まいや商店として今も現役を務め、店の軒先では日本酒やしょうゆなどの看板が目に留まります。寒冷な気候と良質な水に恵まれたこの地では、地の利を生かした特産品がいくつも生まれました。中でも、広く知られているのが吉野本葛です。手仕事での伝統製法は時代の流れとともに消えゆく昨今。昔と変わらぬ佇まいの工場で「本物の味」を一途に守る黒川本家は、今では貴重な1軒となりました。

歴史に刻まれた銘品たる所以

葛根を1本ずつ機械にかけて粉砕。香ばしい香りがするのだそう。

黒川本家が本葛づくりを始めたのは、今から400年も前の江戸時代初期。元和元年(1615年)のことです。「初代の黒川道安は京都に住んでいたときに、縁をたどって吉野地方から葛根を手に入れ本葛粉をつくり、それを朝廷に献上したのが当社の始まりと伝わっています」と話すのは、十三代目の黒川伸一さんです。その後に移り住んだ現在の地、奈良県宇陀市大宇陀で本格的に本葛づくりを行うこととなりました。

黒川本家が丹精込めてつくる本葛粉の評判は高く、大和松山藩主だった織田伊豆守長頼からは「当代随一」と評されたほど。「随一印吉野本葛」の名が付く代表ブランドが、今もその誇りを掲げています。また、明治初期より宮内庁御用達の品として納め、かの昭和天皇にも愛されました。文豪・谷崎潤一郎は小説『吉野葛』を書き上げる際、取材のため同家に滞在。職人の仕事ぶりに触れ「秋は来ぬ うしろの山の葛の葉に うらさびしくも なりにけるかな」と歌を残していったというエピソードもあります。黒川本家の吉野本葛は、その長い歴史の中で多くの寵愛を受け、気品と風格に磨きをかけてきました。


寒風と冷水の中の過酷な作業

所狭しと立ち並ぶさらしを終えた桶。底には澱粉が沈殿しています。

黒川本家で本葛づくりが始まるのは毎年12月。日ごとに深まる寒さとともに本格的なシーズンを迎え、春の足音が聞こえ始める3、4月まで集中して行われます。繁忙期を迎えた工場内には、所狭しと並べられた桶がずらり。10人ほどの職人がそれぞれの持ち場で粛々と作業を進めていきます。他の製造元では機械化が進んでいますが、黒川本家はほぼ全工程を職人による手仕事で行うことに強い信念を持っています。

頑なに昔ながらの製法にこだわるのは、長年引き立てのある一流料亭や老舗和菓子店の信頼に応え、創業以来変わらない味を納めるのが務めとの考えから。「高い品質を保つためには、工程ごとに職人の手の感覚と目で見極めていくことが非常に大事。機械任せとはいきません」と黒川さん。宇陀の冬の寒さは厳しく、一帯が雪化粧に染まることもしばしば。しかしこの環境こそ、良質な本葛を生み出すうえで欠かすことができません。「葛根を精製するには水や空気は冷たいほうがよく、手作業で行うとなるとかなり過酷。特に1月2月は身を切るような寒さの中、キンと冷えた水を扱う作業を続けていると指先が凍ってしまいます。桶も毎日動かすのですが、1つに70~80リットルの水が入っているので腰に来るんですよ」。吉野本葛の上品な味わいが後世に残されていくのは、裏方の隠れた苦労があってこそなのです。

品質を守るための「吉野晒し」

澱粉を切り出したり、不純物を取り除いていく工程も一つずつ目で確かめながら手作業で行います。

江戸時代から伝わる黒川本家の本葛づくりとはどういうものなのでしょうか。
まずは原材料となる葛根を水洗いし、機械にかけて削り繊維状にしていきます。次に、繊維状になった葛根を清廉な地下水でさらし、でんぷんだけを取り出します。この不純物を多く含んだものを荒葛といいます。そしてここから、伝統的な吉野本葛づくりの中でも出来上がりの品質を左右する大変重要な工程「吉野晒し(よしのさらし)」へと移っていきます。荒葛を水で撹拌して桶に流し、2日ほど置いて沈殿させます。沈殿した桶の上水を捨て、切り出した葛から包丁で不純物をそぎ落します。葛の様子を見ながら5、6回ほどこの作業を繰り返していくと黒く濁っていた上水も徐々に澄んだ色に変化。桶の底に純白の澱粉が沈殿していきます。

吉野晒しを終えると、本葛づくりもそろそろ折り返し地点。水分が残った状態の生葛を桶から職人の手で切り出していきます。最後に不純物を包丁でそぎ落とし、それをさらに小割りにして木の箱に並べ、風通しの良い倉庫で2、3か月かけてゆっくりと乾燥させていくのです。乾燥が終わると純白の吉野本葛が完成。手塩にかけてつくった本葛は、検品も人の目で行うのが黒川本家のこだわりです。一つずつ手に取って品質を確かめながら、丁寧に袋詰めや箱詰めされ、お客さんの元へと届けられます。


技術はベテランから若手へ

風通しの良い倉庫で2、3か月乾燥させると吉野本葛の完成です。

このような一連の伝統製法に、特別なマニュアルが存在するわけではありません。先人の教えを見様見真似で身に刻んでいくのが黒川本家の習わしです。「たとえば吉野晒しも何回行えばいいという決まり事があるわけではありません。桶に溜まった上水の微妙な色の変化を読みながら調整していくことが何より重要。熟練された職人の経験と勘があってこそなのです」。黒川本家には約30年の歴を持つ職人も在籍。若手はベテランの背中から、本葛づくりの奥義を学んでいきます。

取材に訪れたのは深緑のころ。すでに今年の本葛づくりはひと段落し、順次出荷が始まっていました。さて、気になる今年の出来は?「例年通りといったところでしょうか。出来は乾燥まで終えてしまわないと何とも言えないものなのですが、ベテランの職人になると、水で葛をさらしている段階で今年の状態が良いか悪いかがわかります」。出来の良し悪しをはかるのは白さに加え、触ったときの硬さ。葛の粒子は他のでんぷんとは違って非常に細かいため、沈殿していくとみっちりと固まっていくのが特徴です。特に純度が高い黒川本家の本葛は、完成すると見た目にもかっちりした硬さを備えていると言います。

目まぐるしい仕込みの時期を終えると、夏場は翌年の生産に向けて道具の整備。職人たちの手が休まることはありません。

葛堀り職人の今とこれから

可憐に咲いた葛の花。青々と茂るツルや葉の下には、のびのびと葛根が育っています。

吉野本葛の原材料となるのは、山で採取した天然の葛根です。葛はマメ科のつる性多年草。秋の七草の一つとしても数えられています。夏の終わりから秋にかけてぐんぐんとツルを伸ばし、紫紅色のかわいい花をつけます。元来繁殖力が強い葛は、育つ場所を選びません。都心部の公園や道路脇で目にすることもあります。しかし立派な根を張るまでには至りません。健やかに生育するのに最も好ましい山の中では、ツルを伸ばし、葉を大きく拡げ、太陽の光を存分に浴びて地下の根にたっぷりとでんぷんを貯めていきます。豊かな自然の恵みを受けて旺盛に育った葛根は、100kg以上に成長することも。それを葛堀り専門の職人である山方(やまかた)が山へ分け入り、折らないように注意を払いながら1本1本手で掘り起していきます。「葛堀りは山奥での大変な作業になるので、いかに効率良く掘るかがポイント。骨折り損にならないよう、山方さんたちは日ごろから山をよく見て、葛が良く育っている場所に目星をつけています」。

自然の中で大きく育った葛根。掘るのも山から降ろすのも一苦労です。

葛堀りは農閑期の仕事として、特に戦後の貧しい時期には多くの人が携わっていました。しかし最近では職人に高齢化の波が押し寄せ、本葛づくりに欠かせない人材が今後ますます減少していくのではないかと懸念されています。葛堀りという仕事自体を知る機会が少なくなり、若い働き手の流出が著しいこの地域では、後継者不足も深刻です。先祖代々受け継いだ味をこれからも引き継いでいきたい思いが強い黒川本家にとって、葛堀り職人の存在は偉大。将来の担い手を1人でも増やしていくために、黒川さんは自治体への働きかけを行っています。「葛堀りの認知度を高め、興味を持ってもらえるように力を注いでいくことができれば。本葛づくりに携わる人が増えて、地域の過疎化を食い止める一助にもなれば幸いです」。


日々の食卓にも葛料理

出来上がった吉野本葛はまぶしいほどの純白です。

葛は万葉集にもたびたび登場し、いにしえより人々の生活に身近な植物として親しまれてきました。根、葉、花は各々、体を温めたり免疫機能を高めるなど優れた薬効を持ち、健康維持や体質改善を目的として使われた歴史のほうが古いという記録も残っています。お菓子や料理などに使われるようになったのは、およそ江戸時代中期以降。当時の食文化の中心は京都や大阪にあり、各地に近いという立地が手伝って、奈良で葛づくりが盛んになったのではと黒川さんは言います。

吉野本葛は高級品というイメージがすっかり定着。全国の料亭や和菓子店で重用される一方で、そのおいしさを知らない世代も増えてきました。そこでもっと幅広い層に気軽に親しんでもらいたいと、黒川本家の東大寺店(東大寺門前 夢風ひろば 内|http://www.yume-kaze.com/)ではレストランを併設。斬新なメニューや新商品を展開しています。「葛きりや葛餅といった従来の味に始まり、季節を意識した洋風スイーツやケーキ、葛入りのパスタといった創作料理までアレンジを加えて用意しています。若い人にも葛のおいしさに目覚めてもらえるとうれしいですね」。

外で食べるだけでなく、日々の家庭料理にも葛を上手に取り入れれば、いつもの食卓が一層豊かになりそう。「京都の料亭では、葛あんを朝粥の上にかけて提供されているところがありますが、家庭で食べるときも葛あんに仕立てるとおいしく召し上がっていただけると思います。野菜や魚、肉にかけてもらうのも本来の風味が楽しめておすすめですよ。私も家でよく食べますが、うちの家系が長寿なのは、葛の効果もあるのかもしれません」。暑さに食欲が落ちたときこそ、口当たりの良い葛で元気を補いたいものです。

◆まめ知識:「吉野本葛」と「吉野葛」の違い

ところで、葛には2つの種類があることをご存じでしょうか。一般に売られている商品のパッケージに目を留めると「吉野本葛」「吉野葛」と表記されたものがあります。実はこの2種類は同じものではありません。ではそれぞれにどのような違いがあるのでしょうか。

「吉野本葛」は葛根から取り出したでんぷんだけを原材料にした葛澱粉100%のものを指します。一方「吉野葛」は葛でん粉を主原料に、サツマイモやジャガイモなどのでんぷんを混ぜたもののことを言います。もちろん、食感や風味にも多少の違いがあります。また「吉野」と名乗ることができるのは、奈良県の吉野地方やその周辺で作られた本葛と葛のみ。葛を買い求める際には、その点に気を留めてみるのも一興です。

吉野本葛の場合、1本の葛根から精製してできる葛澱粉はわずか10%ほど。葛堀り職人の減少に伴って国産の葛根の入手は年々難しくなり、純国産のピュアな製品の価値はどんどん高まっています。「本物」を味わえる機会はますます貴重となるかもしれません。

(2015年5月 取材・文 岸本 恭児)