書寫山圓教寺 塔頭 壽量院

山上でミシュラン一つ星の料理が食べられると、兵庫県姫路市にある書寫山(しょしゃざん)へ。晴れた日は遠く淡路島や四国まで望めるというロープウェイで空中散歩を楽しみ、整備された山道を歩くこと約10分。「塔頭 壽量院(たっちゅう じゅりょういん)」で待っていたのは、心を洗われる絶景と端正な精進料理でした。

塔頭 壽量院(たっちゅう じゅりょういん)

国の重要文化財に指定されている建造物。1174年には後白河法皇が七日間参篭し、観世音菩薩の加護を願った。3度建て替えられ、現存するのは江戸中期の建物。間取りは創建当時とほぼ変わらず、蔀戸(しとみど)や中門などの寝殿造りを備え、内部は床や違い棚のついた書院造りになっている。仏間を中心とした方丈と台所を設けた庫裡とを合わせた構造で、圓教寺型と言われる独特の構造を持った塔頭である。精進料理は4月から11月まで提供。5人以上で要予約。

兵庫県姫路市書写2968-31
079-266-3553(壽量院)079-266-3327(圓教寺本坊)

特別な日の精進料理

深い木々に囲まれて経つ壽量院。門は複数あり、昔は身分によって入口が使い分けられていました(画像上)。當麻曼荼羅(たいままんだら)の写し絵が掛けられた格調高い上段の間(画像下)。

兵庫県姫路市にある書寫山(しょしゃざん)は、西国三十三所観音霊場(さいごくさんじゅうさんしょかんのんれいじょう)の第二十七番札所(だいにじゅうななばんふだしょ)。西の比叡山とも称され、古くから僧侶の修行の場として栄えてきました。山上に建つ圓教寺は、966年に性空上人によって開かれた天台宗の古寺。国指定の史跡である境内や現存する重要文化財を一目見ようと、国内外から毎年多くの人々が訪れます。

深い木々に囲まれ、威風堂々とした姿を残す「塔頭 壽量院」は、1012年に建てられた山の迎賓館です。事前に予約すれば、伝統の書写塗りの器を用いた精進料理をいただくことができます。
精進料理とは、殺生を戒めるという仏教の教えにより、肉や魚介は使わず、旬の野菜や海藻、穀類を材料とした料理のこと。ネギやニンニクなど香りの強いものや香辛料といった刺激のある食材は避け、素材そのものの持ち味を引き出す淡味が基本です。

静かな畳の間に用意されるのは精進本膳料理。「寺での食べる事を食(じき)、マナーを含めて言うと食事(じきじ)と言います。精進料理には食を持って身を潔白にし、行を進めていくという意味合いがあり、多くの方が僧侶が食す質素な食事を思い浮かべるのではないでしょうか。私どもがお出ししているのはそれとは異なり、献上膳と呼ばれるもの。法華経の講義を行う歓学会という修行の間で出されていた格上の方々に振る舞う料理であり、山を訪れた貴賓客へのおもてなしをイメージしています」。穏やかにそう話すのは、調理を担当している料理人の佐藤光明さんです。

麗しい料理にうっとり

豪華で彩り豊かな精進本膳料理。一皿ごとに食の奥深い愉しみを教えてくれます。

壽量院の精進料理は、一の膳から五の膳まであります。ずらりと並んだ皿は全部で20品ほど。その内容は、佐藤さんの言葉の通り上品で華やか。抹茶とお菓子まで付く “フルコース”を前に心が弾みます。

食材は地元で採れた旬のものが中心です。取材に訪れた秋の盛りは、芋のつる、新ごぼう、新レンコンなどが使われ、気候風土に育まれた大地の恵みが目と舌を喜ばせてくれます。
精進料理をいただく際の楽しみの一つが「もどき料理」。野菜や穀類などを創意工夫して、魚や肉に似せた食感や味を再現した料理のことです。その代表格が「雁(がん)もどき」。雁とはカモ科の鳥で、その肉の代用品として使われているのは豆腐。すりつぶして野菜などを加え、形を整えて油で揚げます。揚げることでしっかりとした歯ごたえと香ばしさをプラス。まるで肉を食べているかのような満足感が得られます。また、うなぎのかば焼きを模した「鍬焼き」ももどき料理の一品。甘辛いタレが食欲をそそります。

佐藤さんの手がける精進料理の魅力は、品数の多さや見た目の美しさもさることながら、豊富な味のバリエーションにあります。昆布から取る出汁のうま味を生かし、味付けは繊細。控えめながら強く印象に残ります。一品一品異なる食感も食べる人の好奇心をかき立て、手間暇を厭わない丁寧な仕事ぶりがうかがえます。仕込みから盛り付けまでを1人で行っているという佐藤さん。予約がある日は早朝から厨房に立ち、庭やしつらえを整えてお客さんの到着を心静かに待つのがルーティンです。


精進料理のルール

うなぎのかば焼きとは似て非なる鍬焼き。山芋と木綿豆腐で作られ、食べるともどき料理のおもしろさがわかります(画像上)。精進料理の中でもポピュラーなさしみこんにゃくは、刺身と表現することを忌み、指身など別の漢字が使われたことも(画像下)。

精進料理は食材に魚介や肉を使わないという以外、細かなルールが存在しないそう。盛り付けにもきちんとした決まりがなく、佐藤さんは自身の経験から導き出した「杉盛り」を実践しています。
「茶の湯の世界では、湯を沸かす際に風炉という道具を使うのですが、その中に入っている灰を美しく形づくったものを灰形(はいがた)と呼びます。一見するとすごく硬いコンクリートのようにも見えますが、実は砂山のように柔らかで儚く、指で軽く触れるだけでハラハラと崩れてしまいます。私の盛り付けは、その灰形からヒントを得たもの。皿を縦横3等分にして中心に杉の木立をイメージしながら料理を高く盛っていくと、お客様にお出ししたときに一番美しく見えるのではないかと思いつきました。箸を入れるとすっと崩れ、食べやすさの点でも理にかなっています」。

仏教の教えでは、肉や魚を食べることだけでなく、「不飲酒(ふおんじゅ)」と言って僧侶たちは酒を飲むことも堅く禁じられていました。その一方で仏教には隠語があり、酒のことを「般若湯(はんにゃとう)」と呼び、節度をもって飲むならば、薬にもなり体に良いと容認する考えもあり、食事の際に少量をたしなんでいたそう。般若とは「知恵の湧き出るお湯」という意味。戒めをかいくぐり、酒を飲むことをどうにか正当化して、頬を赤らめていた僧侶たちの姿が目に浮かぶようです。

幻の漆器「書写塗り」

昔の書写塗りは今も大事に保管されており、美しい姿を鑑賞することができます。

壽量院では精進料理を提供する際に艶やかな書写塗りの器が使われています。書写塗りは地元に伝わる昔ながらの漆器。時代の波に押されていつしかその技術は途絶え、幻の漆器と言われるようになりました。誕生したのは安土・桃山時代。その歴史を佐藤さんは次のように話します。
「根来寺の焼き討ち(天正13年)により、難を逃れた塗師(ぬし)の一部が書写山を頼りに来山し、漆器を塗っておりました。そのころの物は書写根来塗りと呼ばれていたようですが、近年の調査により根来塗とはまったく異質なものと判明。七層〜九層塗の堅牢精巧に塗られたもので、地元産の朱が使われていました。もともと500年以上前から書写山で塗られたものが書写塗りと言われていたようです。一時期は書写根来塗りと呼ばれたこともありましたが、もともとの書写塗りに統一した呼び習わしになりました」。

書写山には当時の貴重な漆器が伝存しています。黒漆で塗った上に朱漆を施した漆器は、手のひらから温もりが伝わる独特の風合いが特徴。はっとするほど鮮やかな朱は高貴な色とされ、昔は身分の高い人しか使うことが許されていませんでした。現在、壽量院で使われている器は、時を経て書写塗伝承協会の職人たちの手により蘇ったもの。現存する書写塗りや文献を読み解き研究や調査を重ね、長い歳月をかけて復刻させました。使い込むと朱漆がかすれ、黒漆がのぞくのも書写塗りらしい味わい。料理を引き立てる名品は、時を超えて愛され続けています。


茶懐石の技を生かして

壽量院は上り口が能舞台の様式になっており、他の塔頭より格式の高い建築構造です(画像上)。歴史の深さを色濃く映す見事な襖絵も食事の特別感を盛り立てます(画像下)。

壽量院で30年近く精進料理を担当している佐藤さんですが、もともとはサラリーマン。若いころに脱サラをして料理人の道に進み、姫路市内で出張の茶懐石を振る舞う店を始めました。茶懐石では塗り物の器を使うことから、地元に書写塗りがあることを知り、興味を抱くようになります。知識を深めたいと書写塗り研究の第一人者と言われる先生のもとで学んでいたある時、思いがけず転機が訪れます。

「先生に付いて書寫山に登り、たまたま山主(さんす)にお目にかかる機会がありました。私が茶懐石をやっていると話すと、ここには器もあるし場所もあるから、試しに一度精進料理を作ってくれないかと言われ、おもてなしをさせていただくことになったのです。山には書寫山年中行事記という古い文献あり、寺で行われてきた行事などが記されていました。当時は忘備録のような意味合いで書かれていたものではないかと思います。その中に、大きな行事の後に貴賓客をもてなした精進本膳料理のことも記録されていました。向付(むこうづけ)に始まり、椀物、焼物と進んで、最後にようかんと抹茶を出すことや、ようかんにいたっては寸法まで細かく記されていて。献立の流れが茶懐石に非常に似ているということで、私の経験を生かせるかもと思いお引き受けすることになりました。それがたいそう気に入ってもらえて、2度、3度と続くうちに、半年だけやれないか、いや1年通してやれないかとなりまして(笑)。通年は山の気候の関係で難しいだろうということで、冬場は休んで4月から11月まで一般の人に私が精進料理をお出しすることになったのです。茶懐石の基礎はありましたが、精進料理は一からの学び。全国各地のものを食べにいったり、歴史の長い寺社仏閣で伝えられているお供えの形式などを見たりして、自分なりに勉強をしました。途中、山主には何度ももうよろしいでしょうかと尋ねたのですが……。紆余曲折あり、今日まで務めさせていただいています」。


謙虚な気持ちで邁進

眼下の喧騒を離れ、畳の間で静かに精進料理をいただく時間は贅沢(画像上)。佐藤さんの作る精進料理を求めて、国内外から多くの人が山を訪ねてきます(画像下)。

昨今のヘルシー志向の高まりも追い風となり、壽量院の精進料理は口コミで評判が拡散。佐藤さんのもとへ学びに来る人や、海外からのお客さんも増えてきました。特にベジタリアンやヴィーガンの人には受けが良いと言います。
「うちはリピーターのお客様が非常に多いんですよ。一度来られた人が友達と再び予約してというパターンがほとんど。ヨーロッパから20人を超える大所帯で来られたこともあります。わざわざこんな山奥までお見えになるのですから、きっと期待も大きいでしょう。その思いに最大限添えるようにと、毎回気を引き締めて仕事に臨んでいます」。

宴の終盤になると、運ばれてくるのが抹茶とようかん。座敷から縁側へと場所を移し、手入れの行き届いた庭を愛でながら、毛せんの上に座っていただきます。清らかな空気に包まれ静かに一服。締めくくりにふさわしいふくよかな味わいに、心が満たされていきます。茶人でもある佐藤さんには、最後に提供するこの抹茶にもこだわりがあります。
「お茶はお薄でお出ししていますが、使っているのはお濃茶用の抹茶です。お薄はどうしても苦味が先走ってしまうので、上品でうま味の深いお濃茶の抹茶をお薄にするようになりました。そのほうがお茶に馴染みのない外国の方が召し上がる際にも、日本のお茶のおいしさを印象付けられるのではないかと思ったからです。『日本のお茶はおいしいですね』と言われると、満足していただけたかなとほっと胸をなでおろします」。

2016年にミシュランガイド兵庫版で一つ星を獲得したことは、寝耳に水だったと笑う佐藤さん。味、おもてなし、空間などすべてを高く評価され、大変名誉なことと喜びますが、決しておごることなく、今の自分ができることを日々粛々と積み重ねていきたいと話します。
「きっと写真を撮る人も絵を描く人もそうだと思いますが、何度も撮り続けたり描き続けたりしていくことで、それなりの形になるのではないでしょうか。技は繰り返しによる体感で会得し、回を重ねて磨かれていくものなのだと思います。どんな仕事であってもみなさん職人。私も職人の魂を持って、これからも喜ばれる精進料理を作っていきます」。

(2019年10月 取材・文 岸本 恭児)