聖護院八ッ橋総本店

京都を代表する名物菓子といえば「八ッ橋」。香ばしく歯ごたえのある堅焼きの八ッ橋と、あんが詰まったもちもちの生八ツ橋は、食べるとふわりとにっきが香る上品な味わいです。創業からの味を330年以上守り続ける聖護院八ッ橋総本店を訪ね、老舗菓子店の将来を背負う鈴鹿可奈子さんに、伝統の食を守る努力や食への思いについて聞きました。

聖護院八ッ橋総本店

元禄2年(1689年)の創業以来、伝統の製法で八ッ橋を作り続ける老舗。現在も本店を構える場所で最初は茶店として看板を掲げ、焼菓子「八ッ橋」を誕生させた。京都駅で初の立ち売りをして土産物として人々に認識されるようになり、昭和42年(1970年)にはつぶあん入りの生八ツ橋「聖」を発売。その後、次々と新商品を開発する。平成23年(2011年)には京銘菓の概念をくつがえす新ブランド「nikiniki」を旗揚げし、業界に新風を吹き込んだ。

京都府京都市左京区聖護院山王町6
075-752-1234
http://www.shogoin.co.jp

形に秘められた八ッ橋誕生の経緯

風格が漂う本店の店内。聖護院八ッ橋総本店の全ての商品がそろっています。(上)焼菓子「八ッ橋」は聖護院八ッ橋総本店を代表する味。京の銘菓として長く愛されています。(下)

八ッ橋は米粉と砂糖を合わせた生地に、肉桂(にっき)で香りをつけた甘いお菓子。京を代表する銘菓として長く人々に愛されてきました。聖護院八ッ橋総本店は創業330年を超えてなお、素朴な味を守り続ける老舗菓子店。本山修験宗の総本山・聖護院門門跡のある聖護院の森に本店を構えています。趣きのある店の奥では製造も行い、同社の全商品が並びます。店先にぶら下がった大きな提灯を目印に常連客や観光客が次々と訪れ、ひいきの品を買い求めていきます。

八ッ橋が誕生したのは元禄2年(1689年)。江戸時代に活躍した盲目の音楽家・八橋検校にちなんで生まれました。箏の名手であった検校は近世箏曲の基礎を作り上げ、「六段の調」や「八段の調」といった名曲を世に送り出しました。没後も人気は衰えることがなく、黒谷の金戒光明寺にある常光院に葬られてからも墓参に足を運ぶ人が大勢いました。そこで黒谷参道にあった茶店で、琴の形に見立てた焼菓子を「八ッ橋」と命名し、販売したところ評判に。のちにその茶店が現在の聖護院八ッ橋総本店となり、330年を超えた今も変わらず味を守り続けています。

老若男女を問わずファンが多い聖護院八ッ橋総本店の生八ッ橋「聖」が、京菓子として浸透したのは昭和に入ってからのこと。きっかけは昭和35年(1960年)の祇園祭の前日にさかのぼります。祇園一力亭で開かれた表千家の茶会で、こしあんを生八ッ橋で包んだ「神酒餅」が振る舞われ好評を得ます。その後つぶあんに変え、三角形にして商品化されました。

八ッ橋の未来を背負う若き女性後継者

聖護院八ッ橋総本店専務取締役の鈴鹿可奈子さん。女性らしいアイデアで八ッ橋の可能性を広げています。(上)昔の八ッ橋の製造風景。割烹着を着た女性たちがたくさん活躍しています。(下)

聖護院八ッ橋総本店では機械で八ッ橋の製造を行いながら、職人たちによる昔ながらの手作業も大事にしています。回転釜に生地を入れ、焼けると鉄の棒を使って人の手で独特の湾曲した形状に整えます。回転釜が使われるようになるまでは、熱した鉄板にカットした生地を並べ、一枚ずつ手焼きをする方法がとられていました。今も一部のお菓子では、その製法を貫いています。

「八ッ橋が大好きなんです」とまぶしい笑顔で話すのは、専務取締役の鈴鹿可奈子さん。現社長の愛娘であり、跡継ぎとして手腕を期待されています。「幼いころの私にとって、店や工場は遊び場のようなものでした。社員の皆さんとも家族のような間柄で、会社の行事に参加したり、お正月には社員さんを自宅に呼んで新年会をしたり。父と一緒に朝礼にも出たりしていました。子どものころ両親には家業を継いでほしいと言われたことはありませんが、店に通い、父の仕事に触れるうちに、後継者としての意識が自然と芽生えたのだと思います。中学生になるころには、大人になったら八ッ橋に関わる仕事をしたいと考えるようになりました」。


パッケージの見直しから始まった改革

粉山椒とにっきの風味が豊かに香る「聖・山椒」。爽やかな味わいが口の中に広がります。

大学時代は海外留学を経験し、大手企業に勤めた後、聖護院八ッ橋総本店に戻った鈴鹿さん。社長は「背中を見て学びなさい」というタイプだったために最初はわからないことばかりで戸惑ったそうですが、新設された企画室に配属されると、自分の意見も伝えながらパッケージの見直しを進めていきます。

「当社がかつて採用していたパッケージデザインはかなり熟考されたもの。また、パッケージデザインをめまぐるしく変えることでお客様を惹きつけるのではなく、本質の中身の味で勝負するという昔からの考えを貫いていました。けれども時代が変わり、京都駅や観光地で他社の八ッ橋と一緒に陳列されることが増え、見た目にも個性を求められるようになりました。パッケージで商品を選ぶお客様も増えてきたことから、商品一つ一つの包装を見直そうということになりました」。数ある土産物の中から自社の商品を選んでもらうためには、時代に即したある程度の変化は必要です。けれども、お客さんを置き去りにした変化は好ましくないと鈴鹿さんは言います。

「八ッ橋は昔から買ってくださるお客様や近隣の方など、聖護院八ッ橋総本店のブランドの八ッ橋を選んで買われる方が中心。聖は修学旅行の学生さんや観光客の方など、八ッ橋の会社が何社かあることをご存知でない方も購入されます。こうした商品それぞれの特性から、八ッ橋は既存のデザインを残して聖護院八ッ橋総本店の商品ということをしっかりとアピールし、お客様に安心感を持って買っていただけるようにしています。聖は季節のデザインなどを取り入れて、何社かの八ッ橋の中でも目に留めてもらえ、また楽しんでいただけるデザインを心掛けています」。

新味に大事なのはにっきとの相性

試行錯誤を重ねて発売された「聖・ショコラ」。カカオ風味の生八ッ橋の中にチョコレートあんが包まれています。

パッケージデザインだけでなく、新商品の開発においてもお客さんの信頼を損なわないように心がけている同社。主力商品の一つである「聖」は、発売当初と比べると格段に味のバリエーションが広がりました。定番のにっき、抹茶、黒胡麻を基本に、ショコラやイチゴ、桜、ゆず、栗など季節限定の味が続きます。開発段階で吟味するのは、味の根幹であるにっきとの相性。「合わせる素材とにっきがケンカをすれば、商品としてふさわしくない」と定義づけ、最終的には社長に決定権が委ねられます。黒七味で知られる薬味の名店「原了郭」とのコラボで実現した「山椒」の開発段階でも、にっきとのバランスには頭を悩ませました。

「山椒を選ぶ時には何種類かの配合の山椒を提案していただき、にっきの風味を消さず、うまく調和しお互いを引き立てるものを選びました。生八ッ橋と合わせる新しい味を開発する際、味のおいしさはもちろん、にっきとのバランスが悪ければ、たとえ流行りの食材であっても商品化はしません。物珍しさに最初はお客様も目に留めてくださるかもしれませんが、あまりおいしくない商品であればそれが会社全体のイメージとなってしまいます。たった一つの商品であってもお客様にとってはそれがすべての印象です。チョコレートのあん入り生八ッ橋の販売についても、販売員さんから要望が何度もあがってきていたのですが、納得できるものを開発するまで販売を見送っていました。結果、いろいろな世代のお客様から好評を得られる商品となったと思います。新商品の開発にあたっては、このように徹底的に試作を重ねて、自信を持てるレベルの味に達してからでないと店頭には出していません」。

八ッ橋とは何かという定義を守る伝統を大事にし、その伝統の中で「いちばんおいしいもの」を目指している同社。単にレシピ通りに作るのではなく、ぶれることなく「いちばんおいしいもの」を目指すこと、常に試食をし、舌を信じて味を追求することが本当の伝統だと話す鈴鹿さん。緩やかに変化することは、お客さんにとっては「いつも同じ味」と感じてももらうことだとも言います。


女性の心をつかむ新ブランド「nikiniki」

鈴鹿さんがプロデュースした新ブランド「nikiniki」の季節の生菓子。食べるのがもったいないほどのかわいらしさです。(上)生八ッ橋とコンフィチュール(りんご)の組み合わせは「nikiniki」ならでは。(下)

鈴鹿さんが感性を花開かせ、八ッ橋のポテンシャルを見せつけた新ブランドが「nikiniki(ニキニキ)」です。2011年からスタートし、阪急河原町駅のそばに小さなショップをオープンしました。ガラスのショーケースで目を引くのは、動物や花、季節ごとのモチーフを立体的にかたどったオブジェのような季節の生菓子。生八ッ橋とさまざまな珍しいあんやフルーツのコンフィチュールなどを好きに組み合わせることができる商品もあり、こちらはショップのカウンターで食べることもできます。他にはないユニークなスタイルが若い世代にも受けています。

「nikinikiの八ッ橋や生八ッ橋は聖護院八ッ橋総本店で製造している味そのままで、これまで出せなかった新しい味にもチャレンジしています。その一つがりんごのコンフィチュールと生八ッ橋の組み合わせ。かねてよりみずみずしい食感のりんごと合わせて味わっていただきたいと思っていましたが、聖では水分量が多いものは実現が難しかったので、nikinikiの商品として販売することにしました。カスタードやアイスクリームなど持ち帰ることができないものも、その場で召し上がっていただくことで生八ッ橋との相性を知っていただくことができます」。

nikinikiを通して鈴鹿さんが伝えたいのは、八ッ橋の可能性。商品を買ってそのまま食べるだけでなく、八ッ橋を一つの食材としてとらえてもらうきっかけにしたいというのがブランド立ち上げの真意です。
「nikinikiでは、八ッ橋にはさまざまな味わい方があると知っていただければと考えています。コンフィチュールとの合わせ方なども家でまねをして、その方なりの味を発見していただければさらに嬉しいです。生八ッ橋との色合わせもできるという選ぶワクワク感もお店では味わっていただければ。若い女の子たちが店頭で、どれにしようかと賑やかに話している姿を見ると、八ッ橋を食べることを楽しんでいただいているのだと幸せな気持ちになります。お菓子を食べるというのは笑顔の時間。こうした親しみやすさを持っていただくのが一番です」。


食の安全性への取り組みと食育への考え

いちごの生八ッ橋。フレッシュなおいしさを届けています。

近年、食の安全性に対する世間の目がますます厳しくなっています。聖護院八ッ橋総本店ではどのように取り組んでいるのでしょうか。
「私たちが頼りにしているのは、当社に50年以上続く玄鶴会の存在です。仕入先で構成された独自の組織で、この会に名を連ねる業者から基本的には原材料を仕入れることが多いです。仕入品の一つ一つは私たちがチェックし目を光らせ、なおかつ信頼の置ける会社から仕入れているからこそ、お客様にも安心していただける商品をお届けできると思っています。京都ではうちと同じように仕入先の会を持っている会社が他にも多くあります。昔から続くこうした慣習が、京の食文化を守っているのかもしれませんね」。
鈴鹿さんは現在、1歳の女の子を育てるママとしても奮闘中。食育への考えや思いについても尋ねました。

「私はもともと食べることが大好きで、夫婦ともに仕事柄もあって食への関心が強いです。家で料理をする時も外食をする時も、常においしいものを求めてきました。妊娠中はもちろん、控えた方が良いとされる生の食品には気をつけていましたが、あまり過敏にはならないようにしていました。現在、娘の日々の食事は離乳食を終え、大人に近いものを食べられるようになってきています。味付けが濃すぎるものやアレルギー食材の食べ方は注意しているものの、がんじがらめにしすぎないのが我が家の食育でしょうか。食事の時間は出来る限り私も一緒に食事をとり、おいしいねと笑い合う。まずはこうして食べるという行為を好きになってもらえることが一番と思っていて、これは結局は妊娠前の食べる姿勢と変わっていませんね。幸い娘も食べることが好きなようで、これから一緒にさまざまな料理を試してみるのが楽しみです」。

これから100年、200年と続いていくために

昔の八ッ橋の製造風景。割烹着を着た女性たちがたくさん活躍しています。

新しいことに臆せず挑んできた鈴鹿さん。最後に、八ッ橋の未来を見据えて目指すところを聞きました。
「八ッ橋の味に決して欠くことのできないにっきについて、もっと深く知りたいと思っています。海外からのお客様には、にっきはシナモンですよと説明すると納得して親近感を持ってもらえるのに対し、店を訪れた修学旅行生にはにっきを知らないどころか薄荷(はっか)と区別がついていない子もいて、古くから日本にある香辛料が忘れられてしまう可能性があることを痛感します。ただ、試食をするとおいしいと言ってくれる子も多いんですよ。

こうした次の世代に、日本に伝わる味や食材の魅力を広く知ってもらうことができればと思います。魅力を知ってもらうために、まず一番大事なことは味。お菓子は嗜好品ですから、おいしくなければ誰にも食べてもらえず、続けていくことができなくなります。基本的なことですが、100年、200年と八ッ橋がおいしいお菓子として存在するために、これからも毎日試食を重ね、おいしいと自分が信じる味を常に生み出していく努力を続けたいと思います」。

(2020年2月 取材・文 岸本 恭児)