「平常心是茶」茶の湯に宿る日本人の心(前編)

享保4年(1719年)、3月。江戸千家の流祖である川上不白は、現在の和歌山県に紀州新宮藩士であった川上五郎作の次男として生を受けます。15歳で江戸に出た不白は当初俳諧を学んでいたといわれますが、16歳の時に茶匠への道を志して京都へ上り、表千家七世家元如心斎宗匠の許で16年もの間、千家の茶道を学びます。 そして、寛延3年(1750年)、千家の茶の湯を広めるべく再び江戸へと向かいました。
それから、260有余年。江戸に花開いたお茶の文化は全国へと広がり、その技と心は川上家代々によって大切に守り伝えられています。

今回は、江戸千家宗家蓮華菴副家元 川上紹雪様に、江戸千家のはじまりと流祖不白様についてお話を伺いました。

川上紹雪様

1958年東京生まれ。
江戸千家宗家蓮華菴副家元。大学卒業後、京都大徳寺如意庵に入寺、立花大亀老師のもとに参籠。大亀老師から「紹雪」の安名を授かり、披露の茶会によって若宗匠の格式を得る。
一般財団法人江戸千家蓮華菴常務理事
東京茶道会理事
江戸千家不白会副会長

タイトル1

江戸千家宗家は、流祖の初代川上不白(ふはく)より始まり、私の父である当代の川上閑雪(かんせつ)で十代目となります。

不白は16歳の時に表千家の門を叩き、七世家元・如心斎(じょしんさい)宗匠の内弟子となって茶道を学び始めました。やがて、如心斎と揺るぎない師弟関係を築いていった不白は、如心斎から「真台子(しんのだいす)」と、更に上の「長盆(ながぼん)」の相伝を受けるに至ります。

如心斎は、京都の町衆のお茶である千家の茶道を江戸に広めようと、高弟であった不白にその使命を託します。それが不白32歳のとき。如心斎の元で修行を始めてから16年が経っていました。

江戸に下った不白は、初めは神田駿河台に黙雷庵を、後には神田明神境内に蓮華庵と花月楼というお茶室を建て、お稽古を始めました。

神田明神は江戸の町人にとって産土神(うぶすながみ)と言われるほどに精神的なよりどころであったと同時に、武家地からも近かったこともあって、江戸町人のみならず武家の方々に至るまで、江戸市井の人々に広く京都の千家のお茶を浸透させていくことが出来たと思われます。

しかし、江戸は徳川幕府のお膝元でしたから、武家社会の茶道は徳川家の茶道である石州流(せきしゅうりゅう)という武家茶道が主流でした。千家のお茶は町衆のお茶ですから、人口の二人に一人が武士である武家都市へやって来て最初から上手くということはなかったようです。そこで、様々な工夫をしたのではないかと思います。

幕藩体制の時代にはありましたが、江戸時代も中期を迎え、有力な町人たちが現れ、やがて庶民たちも文化の世界に遊ぶ機運が高まりつつある頃、時を同じくして不白が京都から千家茶道を携えて江戸に下ってきたということができるでしょう。江戸町人たちの間で不白がもたらした千家のお茶が流行し始めると、大名たちの中から千家のお茶もやってみようという人も出てきたようです。そういった時代の流れもあって、少しずつ受け入れられていったのでしょう。


タイトル3

茶道のお稽古は、師弟が一対一で行なうことを基本としています。それに客の立場として同席する人がいたとしても、江戸時代初期頃まではせいぜい数人程度でなされてきたのではないかと思われます。

お茶を嗜まれる人は、主に武家や豪商などの限られたものだったのですが、江戸時代も中期に至り、次第に町人たちが経済的勃興すると共に飛躍的に増加しました。学びたい人が多くなると、必然的に順番待ちをする人が増え長く待たされます。

これを解消するために、如心斎は裏千家八世一燈(いっとう)宗匠や高弟である不白らと共に「七事式」という、複数人が同時に稽古するための式法を考案します。
員茶/数茶(かずちゃ)、廻花(まわりばな)、廻炭(まわりずみ)、且坐(さざ)、茶かぶき(ちゃかぶき)、一二三(いちにさん)、花月(かげつ)の七つの式法があり、いずれも複数の人が一組になって行ないます。

それぞれに決まり事があるのですが、根幹にある目的はお互いが切磋琢磨して茶道の精神と技を磨き、特に、例えば花月においては、各々が何をすべきなのか、またそれが独りよがりにならずに他者の為にも適っているという所作をその瞬間で無意識のうちに動けるようになるということがあると思います。

この七事式があったから、不白が江戸へ千家のお茶を広めようとしたときも、多くの人々に対応が出来、大名たちも次々と千家のお茶に価値を見出したのでしょう。 地方の藩主たちも江戸へ参勤交代で来た際に、自らが、あるいは側近に不白のお茶を習いに行かせ、それを地元に持ち帰ったのではないかと思います。そうして、江戸から全国へ広く茶道が広まって行ったのだと思います。

流儀を言葉に表すのは難しいのですが、たとえば不白が大切にしていた言葉にそれを求めることは可能でしょうか。

ひとつには、「只」という文字を悟りの境地を表す言葉として用いています。自筆の掛物に「只」と大きく書き付け、その脇に小書きで「茶道の奥義思い知れ 常に此の一字に参ずべし」と書かれたものがいくつか残っています。当時の高弟に書き与えたものでしょう。文字通り、ただただ只管(ひたすら)真摯に茶道に取り組めという教えかと思います。

また、不白の理念の根本にある「常」ということも忘れてはならないことだと思います。「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」という禅宗の言葉がありますが、これは平常の中にこそ自分の修業の場があるという意味です。
不白はそれを言い換えて、「平常心是茶」という言葉をのこしました。日常生活の中に常にお茶の考えがあるのだと。

同時に、「本立て(もとだて)」ということも数は多くないですが不白の理念の中核をなすものと思われます。これは不白が示した茶道訓の中に「只々我儘在ヘカラス本立テ時々ノ自由自在アルヘシ」という文言が見られますが、すなわち、どのような場面においても、物事の根本の部分を見据えてそれをはずさないようにしていれば、その時々の自由自在、応用自在が利くものなのであるという意味になるでしょうか。
これもまた「常」の理念の延長上にあるものということができるかと思われます。

今は「江戸千家」は一つの流儀となっていますが、不白自身は江戸千家という流儀を起したというつもりはなく、如心斎という恩師にお世話になった御恩をお返しするために、千家の江戸預かりとして行ったのだと思います。「江戸千家」という呼称も人々から最初は「江戸に下ってきた千家さん」と呼ばれ、それがだんだん縮まって「江戸の千家さん」「江戸千家」となっていったと言われています。


タイトル5

幼い頃から、お茶の家に生まれたのだからお稽古をしなさいと言われたことは一度もありませんでした。父からは嫌だったらやらなくて良いと常々言われていましたね。今となってはそれも作戦だったのだと思いますが(笑)。

現在は、母屋に隣接する江戸千家会館がお稽古場となっていますが、私が高校生になる頃までは母屋でお稽古をしていましたので、小さい頃はお茶をいただきにお稽古場に遊びに行くということもありました。金曜日には夜10時までお稽古をしているので、早く寝なさいと言われても下の階から人の気配がして寝付けなかったことを覚えています。そういう環境でしたね。

そのように、両親はお稽古場にいることが多かったですし、お茶会などで日曜祝日もいないことがあったのですが、晩ごはんだけは家族揃って食べようという暗黙の了解がありました。そして、食事の間だけは正座をしなさいと、お箸をきちんと使いなさい。これが我が家の数少ない躾だったのです。
ですから、それもあって正座が出来るようになりました。

お点前をしているとわかるのですが、正座はとても機能的なのです。きちんと座ると臍下丹田(せいかたんでん)に氣が入って、その氣が指先にまで満ちることによって上半身の動きが自由になるのです。
今は畳の部屋がない家に住んでおられる方も多くなりましたが、この正座の文化も残していきたいですね。

タイトル6

私に初めてお点前を教えてくれたのは祖母でした。祖母は、家にとっても私にとっても、なによりも流儀にとって特別な存在です。

祖父が終戦の前年である昭和19年に亡くなったとき、本来であれば長男である私の伯父が跡を継ぐはずですが、伯父は病弱で、徐々に体の麻痺が進行していく状況でした。その時、次男である私の父は15歳。戦争中は徴用として軍需工場で働かされ、戦後は祖母を助けて家の手伝いを担っていましたが、まだ年若く、そういった意味で祖父が亡くなったあと、江戸千家の道統を守ったのは祖母だったのです。

終戦時、祖母は40代半ばだったと思いますが、新幹線もない時代に女性一人で殺伐とした夜汽車を乗り継ぎ、江戸千家を守るために弘前・青森から九州各地まで東奔西走していました。

私は祖父にお茶を教わることは残念ながら出来ませんでしたが、そんな祖母から言われたことや教えてもらったお点前は鮮明に覚えていますし、祖母が守った江戸千家のお茶の心は、私の今に繋がっているのです。

江戸千家宗家蓮華菴公式サイト http://www.edosenke.or.jp/

ご流祖が江戸に伝えた千家のお茶は、伝統の上に創意工夫を重ね、今日まで脈々と受け継がれてきました。今では日本文化を学ぶために、日本人だけでなく多くの外国人も茶道の門をたたきます。日本人が失いつつある日本人らしさとは何かを考えるとき、お茶を学ぶことでそれが見えてくるかも知れません。 後編は、若宗匠の茶道に対する思いと茶道が現代の日本人に果たす役割についてお伺いします。

(2014年3月取材・文 島田優紀子)

*次回の「賢人の食と心」も是非ご期待ください。
後編へ続く