えべっさん 笑みを湛えた福の神 えびす顔には より福来る(前編)
兵庫県南東部、銘酒の産地として名高い灘五郷の一つを有する西宮市の中央に「西宮神社(にしのみやじんじゃ)」は鎮座しています。福の神として全国に広く崇敬されている「えびす大神(蛭児大神)」をお祀りする西宮神社は、全国に約3500社あるえびす神社の総本社。関西では「えべっさん」「えべっさま」と呼ばれ親しまれています。
西宮のえびす様は、神戸の和田岬沖の海で西宮・鳴尾の漁師の網にかかった御神像を、西の地にお遷しし、祀られたのが起源とされています。鎮座の年代は定かではありませんが、平安時代の文献にはえびす様の名が記されており、鎌倉時代の正元年間(1250年代)には十日えびす大祭を厳粛に行なうための「忌籠(いごもり)」が斎行されていました。
西宮えびすの信仰は、えびす人形を使った人形操りなどの芸能を通して全国に広まり、明治時代以降は交通機関の発達に伴って、参拝者数が飛躍的に増加しました。現在では1月9日から11日にかけて行なわれる「十日えびす」の3日間に100万人を超える参拝者で賑わいます。
全国的にも珍しい三連春日造(さんれんかすがづくり)の本殿に、国の重要文化財である表大門(赤門)と大練塀、そして天然記念物のえびすの森を抱える西宮神社。今回は、代々西宮神社を受け継がれている、宮司の吉井良昭様に境内をご案内頂きながらお話を伺いました。
社務所で授与いただいた「西宮大神御神影札」
えびす様は、右手に釣竿を持ち、左脇に鯛を抱えているお姿として知られています。西宮神社がお祀りしているえびす様は「蛭児命(ひるこのみこと)」様というお名前の神様で、同じえびす様として「事代主神(ことしろぬしのかみ)」という神様をお祀りしている神社もあります。こちらの総本社は、島根県にある美保神社。全国にはいろんなえびす神社がありますが、えびす様としてお祀りしている神様もそれぞれです。それには歴史的に様々な由来があるのだと思いますが、いずれにしても海に関わりのある神様ということですね。
えびす様ははじめ、漁業の神様として信仰が広まりましたが、室町時代以降は七福神信仰によって福の神としても信仰されるようになり、水揚げされた魚を市場で売買することから市の神、商売繁盛の神、また江戸時代以降は農村部で田の神としても信仰されています。 そのように、我々の生活に密着した非常に近い神様と言えますね 。
表大門(赤門)
西宮神社の正門は表大門で、高さは約9メートルあります。雄大な桃山建築の様式で、丹塗りであることから、通称「赤門(あかもん)」と呼ばれています。この門に突き当たる東西の道が旧西国街道で、京都からここまでまっすぐ延び、更に九州まで続いています。ですから、江戸時代はお殿様の参拝も多く、神社の周りは宿場町として栄えました。
本殿を含む境内の建物は、天文三年(1534年)の兵火によって焼失したと伝えられていますが、豊臣秀頼公の寄進によって慶長九年(1604年)から5年の歳月を費やし、再建されました。
大練塀
また、この門の左右に連なる土塀は「大練塀(おおねりべい)」と云って、赤門と共に国の重要文化財に指定されています。この塀には芯となる骨格がなく、版築(はんちく)という工法で、枠を作って土を重ねて積んで行き、突き固めます。また、厚みを揃える為に木を当てるため、木目が表面に残っています。
大練塀が最初に建てられた年代は定かではありませんが、昭和二十五年に大修理をした際、塀の土の中から中国の古銭が出て来ました。これによって室町時代に建造されたものと推定され、全長247メートルの土塀は、名古屋・熱田神宮の信長塀、京都・三十三間堂の太閤塀と共に日本三大練塀と呼ばれています。
御祭神
・第一殿「えびす大神(蛭児大神)」(東・向かって右)
・第二殿「天照皇大神、大国主大神」(中央)
・第三殿「須佐之男大神」(西・向かって左)
この御本殿は三連春日造(さんれんかすがづくり)と云って、江戸時代の初期に四代将軍徳川家綱の御沙汰で造営されました。非常に珍しい構造を持つ社殿として国宝に指定されていたのですが、戦災で焼けてしまい、昭和36年に復興されました。平成23年には復興50周年事業として改修を行ない、御本殿だけでなく、祈祷殿の新築、神池とおかめ茶屋の改修もしています。
普通に考えますと、えびす様は御本殿の真ん中にいらっしゃると思うかも知れませんが、実は向かって右側にお祀りされています。ですから、えびす様の前まで来て一生懸命お祈りされる方もおられます。もちろん、真ん中でお祈りするということは、みなさんにお参りするということですね。
十日戎大祭の様子 (西宮神社提供)
毎年、1月9日の宵えびすと10日の本えびす、11日の残り福の三日間で「十日えびす」というお祭りが行なわれます。9日には「宵宮祭(よいみやさい)」が行なわれ、その後、深夜12時に神社の門がすべて閉ざされます。そして、神職達は静かに忌籠(いごもり)をします。これは、清浄なところで身を清め静寂の時を過ごし、10日午前4時から執り行われます一番大切な「十日えびす大祭」に備えるためです。テレビなどでは福男選びで皆さんの走る姿をご覧になることが多いと思いますが、実はその前にとても厳粛にお祭りが行なわれております。
そして、大祭が終わった午前6時、御本殿にある大きな太鼓の音と共に赤門(表大門)を開き、「開門神事」が行なわれます。これは、十日えびす大祭にてお祭りをし、えびす様のお力が一番強くなられた福を一番に頂こうと皆さんが御本殿に走って来られるのです。
開門神事は、今では随分知られていますが、私が幼い頃はこの近辺の方が下駄なんかを履いて走っていたような、大変ローカルなお祭りでした。 6、7年前にテレビで放映して頂いたことで随分と来られる方が増えて、それまでは1,000人もおられなかったのですが、今は4,000人くらいの方がいらっしゃいます。ですから、参加される方にはくじ引きでスタートの位置について頂き、危険のないように考慮して開門神事を続けています 。
豆腐の串焼き (西宮神社提供)
西宮の慣わしでは、9日の晩には氏子さんも一晩家に籠り、精進潔斎をして、早朝に神社にお参りをしていました。そして厳粛な忌籠が終わったら、開門神事を境にして一転、賑やかに和気あいあいと十日えびすらしい雰囲気となります。 また、氏子の方々はお籠りをしている間に何をしていたのかということが江戸時代の文献に記されており、それによりますと、9日の夜は家で豆腐の串焼きを食べていたそうです。おそらく、今でいう田楽のようなものだったと思います。
熊野の新宮に神倉神社という火祭りで有名な神社がありますが、その火祭りの前日には氏子さん達は白いものしか食べないそうです。お米、大根、豆腐を食べ、当日は白い装束で山に登り、火をもらってたいまつにして降りて来るという慣わしがあって、それを考えますと十日えびすの夜に豆腐の串焼きを食べていたということは、清らかな白いものを食べるということに精進潔斎という意味合いがあったのではないかと思います。
逆さ門松 (西宮神社提供)
西宮のえびす様は、1月9日の夜、白い馬に乗られて氏子町内を巡行されるという言い伝えがあり、氏子の方々はえびす様のお姿を見るのは非常に恐れ多いので、全部の戸を閉めて家の中で籠っていました。その時、家の門松の枝がえびす様に当たったら申し訳ないということで、えびす様が通られる時だけ松を逆さにして飾ったのです。非常に優しい氏子さん達の心がそんな風習を生んだのでしょうね。
今は門松を飾る家がほとんどありませんから、そういったこともほとんど行なわれていませんが、境内の御前ではお正月から十日えびすにかけて逆さ門松をして、昔の風習を伝えております。
おおぬさによるお浄め
十日えびすの際、拝殿前で神主がおおぬさ(白木の棒の先に紙垂をつけたおはらいの道具)を振ります。普段、ご祈祷などをされる時は御本殿の中でお座り頂いておはらいをしますが、おおぬさを目の前で振るのは身を清め、けがれをはらうという意味があります。ですが、多くの方がお越しになる時には、そういうことが出来ませんので、拝殿前でお清めをさせて頂いております。
毎年の事ですが、お越しになられた方々は一列に並び、神主が振るおおぬさの下を順番に通って行かれます。これは他の神社ではあまり見られないことかも知れませんが、非常に丁寧なことですね。神様に近付く前には身を清めないといけないという、日本人にそなわる清浄感のようなものが表れているように思います。
えびす宮総本社 西宮神社 ウェブサイト http://nishinomiya-ebisu.com/
西宮神社と言えば「十日えびす」ですが、近年はお正月も十日えびすと同じように多くの参拝者で賑わうそうです。御本殿とそれぞれの神社をお参りし、ちょうど回り終えたところにある「おかめ茶屋」。100年以上前から参拝客の休憩処として親しまれており、名物の甘酒は麹とお米で作られていて、とても温まる一品です。 後編は、えびす様にまつわる西宮神社ならではのお祭りと、境内の末社についてご紹介します。
(2013年11月取材・文 島田優紀子)